トコトコ中国バスの旅

 

Update : 2020.10.8

 

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▼北京一卡通編 #1231234

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【旅日記】

2019.10.4(金)  大変貌した前門へ

朝方から雨が午後には止み、西の低い山に雲海?

 

市内はクリア。そこで、前門へ出掛けることにした。

10/1の大花火は、左のビルに遮られ見えなかった。残念。

東直門北から44路に乗車。前門東で下車。前門東大街で少々渋滞したが、地下鉄は前門を通過することを思えば何ともない。

 

17:22 前門へ到着。

すっかり変わってしまった。

大変貌した前門だが、 前門大街西筋の珠宝市街には昔の面影が残る。

しかし、観光客はめっきり減った。

これで商売が成り立つとは思えないからなぁ〜。

消滅も時間の問題かも。

一日何人撮影するのだろうか?

それに比べ、大通りに出た店は元気。

雨のせいか、気温が下がったからか、普段よりも人が少ない。

たった600mほどの路面電車も人気。しかし、超低速走行とは言えこの環境で良く事故が起きないものだ。

 

夕飯に選んだイスラム人が集まる牛街の人気しゃぶしゃぶ、聚宝源は超満員で断念。悔しい!迷走の末、しゃぶしゃぶ繋がりで、東直門バスターミナル内の呷哺呷哺へ。庶民派チェーンだが侮れない。

 

本日の歩行距離5.8km9,036歩。上った階数4階。雨が上がって良かった。危うく1,000歩以下になる所だった。

 

▼後日記−都会でタイムスリップ

19.12.1(日)晴

8:20 アパートを出発。目的地は密雲区の雲蒙山長城遺址風景区。目覚めが悪く準備に時間が掛かり、出発前から気が乗らない。東直門バスターミナルで乗車予定の980快を目の前にして、やっぱり中止した。

折角外に出たので卵とサラダを買って帰った。しかし、このままでは一日中部屋で過ごすことに、、、

11:25 サラダで野菜ラーメンを作り腹拵えし、改めて出発。今度の目的地は、西城区の楊梅竹斜街。特に、模範書局の屋上。

この野菜ラーメン、結構優れもの。最後はコーンが残り、コーンラーメンになった。またやってみよう。

東直門北から44路に乗車し、前門西で下車。

煤市街の西側は胡同に平屋の建物が多く残る。

東側は超近代化されギャップが面白い。

交通銀行の古いビルに向かうと、「MUJI」の看板が目に飛び込んで来た。

ハンバーグステーキの看板に惹きつけられ、中へ。

イイじゃない!

ホテルのフロント横に書店。日本人作家の翻訳本が多数。座り読みOK。

地下には、無印用品の大きなテナント。

こんな店が出来ていたとは驚いた!

西河沿街には、古い建物も残る。

左)交通銀行

中)塩行銀行

右)農商部

農商部の西側から北京坊へ。

都会的な姿と閑散とした様子に驚いた。これから賑やかになるだろうか?

煤市街に戻り、南進。

前門バス停の先が、楊梅竹斜街。

全長496m。明代からの斜街。光緒年間に語呂合わせで現在の名称になったそうだ。

ここでも街並みに溶け込む鈴木食堂。

北新橋店でも感激だが、ここは旧家を使った素晴らしい店作り。

待ち客様にビニールハウスまで準備。

目的の模範書局が見つかった。

しかし、屋上には行けず。残念!

リサイクルショップ。覗いてみると、年代物の家電が山積み。

ここもリサイクルショップか?と思ったが、家から溢れた家財道具だった。

シャレたオヤジが雑貨屋を営む。

炭児胡同から、取灯胡同、煤市街、大柵欄西街と散策。

白人がチラホラ。何故ココに?良い雰囲気が残っているが、それにしても不思議。

大柵欄街は立派なレストラン街になった。故に、大勢の観光客で賑わう。

正陽門を正面に見ながら前門大街を北へ進み、前門東バス停へ向った。

 

本日の歩行距離10.3km13,251歩。上った階数6階。前門界隈でも足を踏み入れたことが無いエリアだった。模範書局の情報を見つけなければ、きっとこの先も無縁だったことだろう。郊外の目的地探しに苦労する今日この頃、もっと市内に目を向けようと思う。

96年、琉璃廠の工芸品店で店番を任されたことがある。あの店は今もあるのだろうか?炭児胡同ではなく琉璃廠東街を選んでいたら、懐かしい光景に出合っていたかも。

それにしても、MUJIに続けて鈴木食堂、あ〜ハンバーグが食べたい〜。

 

▼後日記−東交民巷界隈

 

19.12.22(日)晴

朝、紅橋市場へ頼まれモノを買いに行った。折角街に出たので、帰りに崇文門へ立ち寄り、東交民巷を散策した。

東交民巷は、崇文門の同仁医院南から天安門広場東路まで、約1.6km続く。

 

この通りには、歴史を感じる建築物が数多く残る。

 

1860年、第2次鴉片戦争発生後、イギリス、フランス、米国、ロシア、日本、ドイツ、ベルギーなどが大使館を設立し、大使館街と改称した。建国後も大使館区とされたが、1959年までに三里屯一帯に全て移転した。

現在は、文化財保護街となっている。

ノスタルジックな街並み。

1901年に建てられたフランスの教会。

 

正門の上の美しい天使の像で有名。・・・だったとは知らず、見逃した。

台基廠大街を挟んで教会の西隣りが旧フランス大使館。

 

正門の脇に、国務院のお墨付きがある。

 

大使館の隣には、旧フランス郵便局。

 

他国に郵便局とは、不思議な感じ。

 

旧日本公使館。

正義路に面した中国法院博物館。元は、日本正金銀行北京支店。

 

他にもまだまだ見所がある地区だが、大きな荷物を持っていたことと、お腹が減ったことのダブルパンチで気が進まず、本日の東交民巷散策はここで終了。次はゆっくり見て回ろう。

 

さあ、昼食。

正義路から9路に乗車し、終点の金台路で下車。そして、韓記牛肉拉面へ。美味かった〜!

 

いくら牛肉拉面がアツアツで出て来るとは言え、この寒空に露店で食べるとは恐れ入る。しかも、テーブルが3卓も。安くて美味い。ここへ食べにくる気持ちは良く分かる。

 

今日も隣の麻辣燙とどちらにするか迷ったが、麻辣燙を食べると滝のように汗が噴き出て帰りに頭が寒いので牛肉拉面に決めた。冬の麻辣燙には覚悟がいる。

 

▼前日記−国慶節で賑わう天安門から前門へ

18.10.1(月) 晴

 

国慶節の天安門広場は、全国から集まった人民で大混雑。人を掻き分け前に進む。

強烈な人民パワーを感じる。

皆、国旗が降りるのを待っている。

 

前門まで足を延ばし、北京地下城跡を探すも見つからず。服務員には見えない服務員が面倒臭そうにチケットを売っていたあの地下城、今はどうなっているのだろう?

 

すっかり変わった前門は、いつもに増して大勢の観光客で賑わっていた。

 

▼後日記−北京中軸を歩く

20.10.8(木) 曇

 

9:00 天壇南門で特12路を下車。本日の目的は、永定門から正陽門まで、北京中軸を歩くこと。

 

南擭城河の南岸を永定門に向って進む。

ところが、出発点の永定門南広場が工事中で中々近付けない。

 

あっちへウロウロ。こっちへウロウロ。

 

音響効果が良いからか、オヤジが橋の下でトランペットの練習。結構な音量で耳に響く。

10:13 漸く永定門内大街の内側へ入れた。

永定門公園に入ることに、また一苦労。

 

北広場では大音量の音楽に合わせてオバちゃん達がダンスの練習。

遠くから見ても迫力のある門だが、下から見上げると一層凄い。

明、清代の北京外城南壁の東側はここから始まる。

サックス練習のオッチャンも。

さあ、北京中軸を歩こう。

 

永定門から鐘楼の7.8kmを中軸線と呼ぶ。

中軸線を建立する目的は封建帝王の中心的地位を強調することであり、中国の名の通り、世界中央の国を意味する。

都市全体の配置は中軸線を中心とし、左は太廟、右は社稷壇、前は朝廷、後は市場、すなわち「左祖右社」、「前朝後市」となっており、この都市配置は世界で最も輝かしい都市の一つとなっている。

中軸線は元代に形成され、今の旧鼓楼大街の中心線と南への延長線に位置し、太液池の東岸の宮城中央を越えていた。明代になって、支配者は東に150メートル移動し、現在の形になった。

 

往時の敷石が少し残っていた。

公園の出入り口に玩具の露店。反対側にもあったが、客ゼロ。加油!

前方上空に飛行物体発見。ドローンかと思ったが、クイックに動いた。

 

奥見ると、オヤジが操る鷲型の凧だった。

 

トリッキーに切り替えし面白い。

間も無く糸を手繰り寄せ、南広場の方へ歩いて行った。

 

肩慣らしだったか?

現在位置は●。左端の永定門から右へ進ん出来た。

あれ、真っ直ぐ行けないのね。

地下道に入ると、オヤジ達がインラインローラーでホッケーやダンスの練習。

 

これも許されているのかは不明だが、北京市内には老人が体を動かせる場所が多い。

地下道を出ると、前方交差点の右手に天壇西門。賑わっていた。

中軸に戻ると雰囲気が変わった。

 

木々が色づき始めている。

左前方に天橋市民広場が見えた。

反対側には北京自然博物館。

 

ここには初めて見る色々な展示があったなぁ。

10:52 天橋の向こうに正陽門が見えた。

タイヤの跡でも付いているのかと思ったら、「北京中軸」プレートが埋め込まれていた。

この橋は天子が天壇や先農壇の祭祀に使うもので、天橋と呼ばれた。元の時代に建てられた歩道橋の左右には漢白玉の欄干がある。橋の北の東西にはあずまやがある。橋の高さはとても高い。

光緒三十二年、歩道橋の高橋は取り壊され、低い石畳橋に変わった。その後、何度も改築され、1934年に解体された。橋の跡はなくなったが、天橋は地名として残っている。

天壇路の交差点を渡ると、

前門大街になる。

 

パトカーも遣りたい放題。

珠市口交差点まで道路の左右が拓けている。何を作るのだろう?

路地に入ると、忽ち別世界。

教会がポツンと建っている。立ち退き拒否?

 

珠市口交差点から南の街並みの記憶は無いが、教会の位置まで建物がビッシリ並んでいたのは間違いない。

教会には「危険」使用禁止の張り紙。撤去も時間の問題か。

直進したいが、珠市口東大街には横断歩道が無い。東西どちらも100mほど先に歩道橋がある。西には、目の前に地下鉄の出入り口。出入り口は道路の反対側にもある。日本ならば道路を横断する通路も兼ねていることは間違いないが、ここではその理論の当て嵌まらない場合が多々ある。しかし、新しい駅なので大丈夫だろうと判断し、エレベータで地下に降りた。

エレベータは地下に止まっていた。呼んだが中々来ない。乗ってからも中々地下に着かない。着いた所で出口を探すと、地上へのエスカレータがとても長い。とても深い所だった。エレベータが遅かった訳だ。ガッテンして外に出ると、あれ?さっきエレベータにのった所じゃないの。

もう一度エスカレータで地下へ。しかし、次の出口は「西北口」とサインが出ていた割に教会のずっと南だった。

11:22 結局、“歩道橋まで100m”の5倍ほど歩いて歩道橋を渡ることになった。あぁ、ガッカリ。

 

立派な道路になった珠市口西大街。

歩行街には行った。

屋台が出ていたが、

人は疎ら。8連休の最終日だからか?

洒落ている。但し、電線も汚水もデザインは同じ。

白酒の店。ガラガラ。

服の仕立て屋。ここもガラガラ。やって行けるのか?

以前のような大混雑には程遠い。

「羊肉串、羊肉串」と威勢の良い声が響く。

 

店の前にゴミ箱には串が溢れていたが、、、

しかし、大柵欄街は盛況。

反対の鮮魚口街も。

 

混み合った所には入ろうと思わない。

久し振りに都一処の焼売が食べたいが、既に行列。別の機会にしよう。

五牌楼の周りもガランとしていた。

11:43 正陽門箭楼へ到着。

毛沢東記念堂まで見通せる。

 

その先は天安門、故宮、景山公園、鼓楼、鐘楼、奥林匹克公園へと北京中軸は続いて行く。

中国鉄道博物館北側の前門東バス停へ向った。

抑え込んでいるとは言えCOVID-19への感染が心配で気が進まず、今年の国慶節は天安門に行かなかった。

 

賑わっているだろうか?

前門東から9路に乗り、いつもの韓記牛肉拉面へ向った。

 

12:30 到着。昼飯時のストライクゾーンど真ん中で大繁盛!安くて美味いからな〜。

 

本日の歩行距離9.7km16,006歩。上った階数9階。永安門の足元には初めて行った。中軸を真っ直ぐ歩くのも初めて。永定門の攻略に手間取ったが、良い運動になった。



 

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