トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #149
【旅日記】
2020.10.2(金) 北京西站へ行く途中で磚塔胡同界隈を散策
8:10 アパートを出発。主目的は久しく行っていない北京西站の状況把握と明日乗る予定の高鉄チケットの受け取り。西站へ行くだけでは勿体ないので、少し前に北京観光のサイトで見つけた磚塔胡同へ行ってみることにした。 東直門内から612路に乗車。 今日は素晴らしい青空。歩くと上着が邪魔になるかも知れないと思い半袖ポロシャツで出掛けたら、涼しいを通り越し寒かった。世間の様子を窺うと、半袖は1/10未満。中にはダウンジャケットを着込んだ人まで。季節が変わった。 |
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8:50 西四路口東で下車。 この辺りはバスのための電線が張り巡らされている。 西四交差点から南進。 |
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地質博物館東側に、中国地質学の創立者と言われる李四光像。 周囲には、地質の標本が並ぶ。 硅化木は百里山水画廊などで良く見る。 |
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胡同には面白い名前が多い。名前と現場の関係は今回は未確認。 宣武門内大街沿いに建つ万松老人塔。 万松老人とは、元代の曹洞宗の僧侶、万松行秀禅師。開国の功臣であった耶律楚材も師と仰いだ人物。81歳で逝去した万松老人を記念して弟子たちがこの塔を建てた。既に800年ほどの歴史をもつ。 早過ぎて開いておらず。 |
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万松老人塔の北の路地が磚塔胡同。ほぼ同じ歴史を持つ。 磚塔胡同には、かつて魯迅も住んでいた。(現84号) しかし、今一つ心に響くものが無い。 横に入った小さな敬勝胡同の方が趣が感じられる。 磚塔胡同の中に古刹護国関帝廟。 門は閉ざされていた。 |
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修復工事が進む所もあった。 西の端は面影無し。 |
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太平橋大街に出た。南には金融街、北には白塔が見えた。 バスからは良く見るが、じっくり見る機会が無かったので妙応寺白塔へ向った。 |
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白塔はフビライが自ら踏査して所在地を選び、元八年(1271年)に創建された。 ここも修復工事中で景観はイマイチ。 東側の壁沿いに路地を進んだ。 |
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風鈴の良い音がする。 路地に面した土産物屋のオヤジが売り物の風鈴を路地に吊るしていた。 |
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胡同の中は別世界。 阜成門内大街の北京大学人民医院白塔寺院区-主楼。 この建物にはいつも目を引かれる。 |
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歴代帝王廟。修復工事中で入れず。 明代嘉靖9年(1530)建設。明・清代の皇帝が祖先を祭った場所。太廟や孔廟と並んで王室の三大廟宇と称された。 |
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この胡同は修復され見栄えが良い。しかし、綺麗に出来過ぎなのもつまらない。 広済寺。明代三世仏と十八羅漢像、康煕代の漢白玉戒台、乾隆年間の青銅宝鼎など貴重な文化財を保存。 最後にもう一度万松老人塔へ立ち寄った。今度は中に入れた。しかし、小さな場所で、入ると塔が全く見えない。 |
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宣武門内大街を南へ進みバス停へ向うと、ショーウィンドに巨大なマネキン。そのパンツは、LV模様。やることが凄い! 立派な教会の前に、偽バス停。 |
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10:07 徳3路で北京西站へ向う。西単までの一区は大混雑。 ‘96年、西単で辞書を探し回った。あの頃の面影は全く無い。あの時の辞書は字が小さく、もう読めない。どっちも変化が大きい。 10:26 北京西站へ到着。もうピークを過ぎたのか?昨日ニュースで見た上海とは様子が違う。 チケットを受け取るため售票処へ向った。 |
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荷物検査とボデーチェックを終え中に入ると、ゴチャゴチャ混んでいる。少し離れた窓口はガラガラ。そこへ行くと、難無く処理してくれた。しかし、イメージした青いチケットでは無かった。 |
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警察犬が3頭。どんな任務だろう? 10:46 帰りは9路。これが大行列。当然満員。しかも、宣武門−前門が酷い渋滞。 天安門広場も観光客が大勢集まっていた。 |
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12:07 漸く終点の金台路へ着いた。前門から先は快調だったが、予定が狂った。 朝暘公園路のゲートにいつものオヤジがいない。それどこか、誰もいない。パラソルが開いており、警備は続いているようだが。国慶節で休み?昼飯を食べに行った? |
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韓記牛肉拉面で昼食。止められない。特大に肉団子と煮卵をトッピング。冷えたビールも付けて21元。大蒜が辛くて大汗を掻いた。 本日の歩行距離5.5km、9,218歩。上った階数データなし。ほんの数枚写真を撮りどこかの回の後日記にするつもりだったが、多数撮ったので単独回にした。 さあ、明日はいよいよ殷墟遺跡。楽しみ半分、不安半分。西站の下見は完了したが、早目に出発しよう。どうなることか? |