トコトコ中国バスの旅 |
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【旅日記】
2022.11.5(土)
撮り鉄じいちゃんと出会いホッコリ |
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先週に続き鉄道攻め。目指すは、三重県いなべ市の軽便鉄道博物館と貨物鉄道博物館。 ルートは、庭田山頂公園のある二之瀬峠越え。 Google Mapによると、全行程111km。う〜、ミスコースするとガス欠の危機。 |
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10:00 県道25号、南濃北勢線をトコトコ上る。 冬季閉鎖になる道路のため心配したが、まだゲートは開いていた。 |
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心臓破りの坂を上って行くサイクリストが多い。 少々肌寒いが、彼らには絶好のコンディションに違いない。 |
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2nd、3rd、2nd、3rd、何度シフトチェンジを繰り返したことだろう? 山頂までもう一息。 |
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濃尾平野が遥か下に見える。 |
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10:18 やっと山頂へ到着。 予想外にサイクリストが少ない。 どうやら彼らは、休憩せず下って行くようだ。トレーニングが目的ならそんなもんか。 |
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紅葉の季節だ。 |
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もう少しクリアだったら良かったなぁ。 |
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10:50 三岐鉄道北勢線終点の阿下喜駅へ到着。 プラットフォームの先端が改札口。終着駅ならでは。 じいちゃんが三脚を立て熱心に撮影。この方、何と夫婦で横浜からやって来ていた! 聞くと、ローカル線が好きで、あちこち撮りに行っているそうだ。 「観光地へ行くのと一緒」と言っていた。考えてみれば、そうだよな。 |
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プラットフォームの隣に、転車台があった。 ミニチュア版「ミニ電ホクさん」がここを走る。 開館日に三岐鉄道北勢線に乗って阿下喜駅に来ると、500円で6ヶ月有効の運転免許が取れる。 これは面白い。但し、2時間の講習があるので時間のある時に。 |
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北勢線で活躍した昭和6年製モニ226号。 奥の建物が全国唯一の軽便鉄道博物館。 しかし、残念ながら開いておらず。開館は第1、第3日曜日のみだった。 軽便鉄道の小型列車は、昭和初期に全国で300か所も走っていたそうだ。 |
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時刻表を確認。 次の列車は、、、11:39発車かぁ。おっ、到着は11:05。間も無くだ。 |
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じいちゃんが「黄色いパンダ顔の列車」と教えてくれた通りだった。 しかし、一両で来ると思っていたら、三両編成で吃驚。桑名と結ぶ路線だが、そんなに乗客があるのか? 軽便鉄道規格で営業している鉄道は、他に四日市あすなろう鉄道内部・八王子線、黒部峡谷鉄道が残るのみ。 貴重だなぁ。わざわざ横浜から来るんだから。 |
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駅前に行列のできるパン屋あり。良い事だ。 今流行の高級食パン専門店。 |
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11:16 目星を付けておいたR306沿いの「キッチンもも」へ到着。 パッと見、乗用車が30台ほど停まっておりドキッとしたが、棟続きのデイサービスの車だった模様。 ここは、「日替わりの1日シェフのお店」。このコンセプトが気に入り、ココに決めた。 何が食べられるのかな? |
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今日のランチは、、、おぉ、メインは「骨なしサバみそ煮」。良いじゃないか。 入店すると、先客は無かった。入口から声を掛けると、開店まで待つ様に言われ、暫し待機。 |
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ご飯は大中小を選べるとの事で、もちろん大を選択。 来た〜、美味そ〜。 味もボリュームも満足。これで860円は嬉しいね。 この界隈はラーメン屋始め、結構飲食店があるが良い選定だった。 |
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12:06 貨物鉄道博物館へ到着。ここは、三岐鉄道三岐線丹生川駅の直ぐ北。 シャッターが半分開き、オッチャンが車から荷物を運び入れていたので開いていると思ったが、、、 月1回の開館日は、明日だった。残念。 こちらも日本で唯一、鉄道貨物輸送を対象としている博物館。 |
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この博物館はやけに細長いと思ったら、丹生川駅の旧貨物ホームを一部流用したものだった。 貨物関係の資料や貨車の部品等が収蔵されているほか、Nゲージの販売もある。 入館無料。運営費は寄付によって賄われ、車両搬入・展示・運営はボランティアが担っている。 好き者の集まりとは思うが、これなら月1開館でも仕方ない。 |
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SLは何度見てもワクワクする。 東武鉄道 B4形39号 (旧国鉄5650形蒸気機関車) |
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明治31年(1898年)
イギリス製。 昭和41年(1966年)
東武鉄道で現役引退。その後、東京の昭和鉄道高校で保存。 三岐鉄道に在籍したイギリス製2Bテンダー機関車に酷似していたことから、三岐鉄道が譲り受けた。 |
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丹生川駅プラットフォームの横にタンク車が並んでいた。 開館日にはキッチンカーも来るらしい。 |
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電車の中に、大きなカメラを携えたオッチャンの満足そうな笑顔が見えた。 |
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帰路、丹生川の町の中に古びた建物があった。 良く見ると、郵便局。入口脇のドアガラスには「公衆電話」の文字の痕。このタイプは初めて見た。 どうやら、昭和10年(1935年)開局時に建てられたものらしい。さて、この先どうするのか?ここも博物館? 今日はこまめにルートを確認して進んだ。ミスは一度、50mほど行き過ぎただけ。ガス欠せず良かった。 |
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2022.11.12(土)
名古屋のオモウマい店を攻略 |
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今週はRally Japan week。世間の盛り上がりに感化され、自分の中でも盛り上がって来た。 明日は最終日。天気予報に反し雨が降らなければ、日本大正村前を通過する車両を見に行くことにした。 と言う事で、名古屋市内、それも極近場でルート設定。 |
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10:25守山区瀬古の庄内用水元込樋門へ到着。 庄内川に架かる県道102号線の水分橋。 名鉄小牧線が上飯田から味鋺まで地下を走るようになり風景が変わった。 |
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庄内用水元込樋門は庄内川からの取水口。県道の直ぐ脇にある。 もう何十年も通っている道だが知らなかった。 そして、ここから堀川が始まることも。 |
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明治9年(1876年)開削。 人造石を使用した樋門としては名古屋で唯一現存するもの。 産業技術史からみても貴重な遺構。 |
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堀川は船運と用水を目的に掘られた。 |
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どうやら今も動くようだ。 |
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10:34 北区辻町の黒川樋門へ到着。 矢田川に架かる三階橋は立体になり、混雑が解消され嬉しい。 |
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矢田川に繋がっていると思いきや、庄内用水元込樋門から引いた用水は矢田川の地下を通りここへ繋がる。 そして、黒川、名古屋城へと流れる。 3連の樋門に2つの石段があり、巻上機の上屋は木造で昭和55年(1980年)に復元。 これも知らんかった。 |
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樋門の脇には「天然プールの碑」が建つ。 かつてこの地には明治九〜十年の黒川開鑿の時に造られた池があり、ここより黒川・ 庄内用水・御用水・志賀用水・上飯田用水に分水していた。いつの頃からか、この池は「天然
プール」と呼ばれるようになり、たくさんの子供たちが水遊びに集まり、水泳や魚釣りなどの思い出を残していた。百年にわたり人々に愛されてきたこの「天然プール」も昭和
五十二年の三階橋ポンプ所建設により姿を消し、今は明治末期築造の石組樋門が、わずかに昔をしのばせている。 |
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10:55 中区新栄の「立食いめん処 吉野家」へ到着。 店の前でオヤジ達が開店を待っていた。 表には、TVで紹介された1.2盛の「ピッチャーコロ」の写真付看板。ビジュアルは良いが、、、 |
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そう、ここが「オモウマい店」。 会社の駐車場から450m、歩いて7分の距離だが番組で紹介されるまで知らなかった。 路地の奥。店の入るビルはアジア的な、一種異国の雰囲気で面白い。 11:00開店。長くなった列の一団が検温と消毒をして入店。 |
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オーダーは、カレーうどん1.2盛 1,050円。約1.6kgのカレーうどんってどんなん? カレーうどんは今週3回目。いつからそんなに好きになったんだ??? 続々と客が増え、直ぐ満席になった。 どいつもこいつも壁のメニューを見上げる。 |
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来た〜、お〜デカイ!深さ10cmを超えるすり鉢状の丼に並々。しかし、この色艶、ちょっと嫌な予感。 的中!味がストライクゾーンから外れている。残念。麺も好みからすると、軟らか過ぎる。 それにしても、一生懸命食べるが中々減って行かない。 完食したが、中盛以上は“絶対食べれません”と書いてあるだけの事はある。 次に行くことがあったら、良くオーダーが入っていた「味噌煮込みの親子」にしよう。 |
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11:55 千種区城山の城山八幡宮へ到着。 鳥居の奥に駐車し、階段を上る。 |
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すると正面に空堀があった。 そうか、この山全体が目的の末森城跡だったようだ。 |
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もう一つ階段を上り山頂へ出てガッカリ。 なんじゃこりゃ、ここに駐車場があるんかい! |
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末森城は、天文17年(1548年)、三河国松平氏や駿河国今川氏などの侵攻に備え、東山丘陵の末端に織田信秀が築城。実弟織田信光が守る守山城と合わせて東方防御線を構成。 信秀は、それまでの居城、古渡城を放棄し末森城を居城とした。 標高43mの丘に、東西約180m、南北約150mの規模で築城された平山城だった。 |
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標高43mとは言え、結構眺めは良い。 空堀は幅10-16m。斜面の中腹に、ぐるっと一周掘られていたのが見て取れる。 現在の遺構は、当時尾張を支配していた織田信雄が小牧・長久手の戦いに備え1584年頃整備したもの。 |
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本丸跡地は城山八幡宮の神域となっている。 |
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七五三詣で賑わっていた。 |
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二の丸跡地には愛知県が建設したY形の旧昭和塾堂が建っている。 昭和3年(1928年)、昭和改元の記念事業、「教化殿堂」「人づくりの殿堂」として、当時日本建築構造学の権威、佐野利器博士の助言のもとに愛知県営繕課酒井勝、足立武郎(設計主任)、黒川巳喜(意匠図・黒川紀章の父)、尾鍋邦彦(構造図)等が設計し、建設された青年教育・社会教育の施設。 600人収容の講堂・神殿・教室・食堂・図書館・寝室・浴室・貴賓室等の総合的諸設備を整える。 後に城山八幡宮に払い下げられ、建物は現在愛知学院大学に貸与されている。残念ながら入れない。 |
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北側には、昭和6年(1931年)に建てられた 木造平屋の旧昭和塾堂付属体育館がある。 武道場「養心殿」として、現在も利用されている。 風格があって良いな〜。 |
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2022.11.19(土)
自動車は一方通行。しかし、二輪車は除く。何と素晴らしい町! |
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11/13(日)、Rally
Japanを明智リエゾンで体感する計画を立てていたが、雨の予報で泣く泣く断念。 予報通り昼前から雨が降り、悲しいやら嬉しいやら。 Rally Japanの体感は出来ないが、より深まったであろう紅葉を目指し岐阜県恵那市へ向った。 |
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8:47 R363の見晴峠を越え、三国山展望台へ向う交差点を通過した。 紅葉の深まりは、取りも直さず秋から冬へのバトンタッチ。風が冷たくなって来た。 今日のR363は通行量が多く、峠越えは恐ろしかった。 |
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9:06 曽木公園に到着。 紅葉の名所。未だ、ちょっと早いか。 |
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いやいや、中々のもの。 |
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夜はライトアップで一段と美しくなる。 |
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R363沿いも中々のもの。 駐車場も空いていたから、これを見たら寄りたくなるわな。 |
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9:23 R363とR419の合流点に巨大な狛犬が見えた。 余りの大きさに目が行く。こんな所に作って、危なくないか? |
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ギネス公認の世界一巨大な美濃焼の狛犬。高さ3.3m、幅1.56m、奥行2.4m。総重量1体15t。デカイ! 平成の「ふるさと創生事業」で作られたそうだが、ここに巨大な窯を作って狛犬を焼いたと言うから凄い。 ドラム缶9本をつないで煙突を作り、松割木5000本を燃料にして、住民総出で夜通しの作業。 制作人数1,000人、焼成時間273時間、12日間焼き続けた。 |
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9:46 日本大正村へ到着。 自動車は一方通行。しかし、二輪車は除く。何と素晴らしい町! 街全体として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物館などが軒を連ねる。 郵便局や銀行は実際の窓口業務も行っている。 メジャーな施設は共通入場券700円で見学できる。 |
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日本大正村資料館。旧銀行蔵。恵那市指定有形文化財。 木造3階建ての西棟は明治42年(1909年)、木造3階一部4階建ての東棟は大正7年(1918年)竣工。 どちらも瓦葺。内部には手動のエレベーターがある。 明治期のこの地域では養蚕業が盛んで、生糸を扱う会社が濃明銀行に発展。 この建物は濃明銀行の蔵として建設され、農家から預かったり買い取ったりした繭を収納していた。 現在は、明治から大正時代の教科書、蓄音機などを展示。 |
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R363沿いの大きな無料駐車場でトイレ休憩。地図でポイントの位置を確認。 Rally Japan を体感しに来ていたら、この辺りにいたのかも。 この村は昭和63年(1988年)、恵那郡明智町の町おこしとして構想・立村された。初代村長は高峰三枝子。 二代目 司葉子(平成11年)、三代目 竹下景子(平成27年)と続く。 |
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大正路地へ向った。 2代目町長・濃明銀行創始者 故橋本幸八郎氏宅の年貢米を納めた米蔵と江戸時代から続いた呉服問屋の蔵の間。 |
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お〜、良い感じ。 ハイカラさんが似合いそう。 黒い羽目板は、桟を外すと防火壁の役目を果たす優れ物。 この路地の坂を上ると大正村役場に出る。 |
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日本大正村役場。国の登録有形文化財。恵那市景観重要建造物。 明治39年(1906年)竣工。木造2階建て。桟瓦葺、寄棟造り。外壁は下見板張り。木製の上げ下げ窓がある。 6代目の明智町役場として建設され、昭和32年(1957年)まで役場として使用された。 その後は商工会議所や集会所などとして使用され、昭和59年(1984年)に日本大正村の構成施設となった。 日本大正村の設立経緯などが展示されている。 |
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裏に夜泣石があった。 中央の大きな石がそれ。後ろの高台にあった小さな円墳に使われていた鏡石。 明治の初め、この下を流れる小川の石橋に使った所、木枯らし吹く冬の夜、嫋々と咽び泣く声が流れ誰となく夜泣石と呼ぶようになった。 恐ろしい。 |
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大正ロマン館 平成6年(1994年)に開館した洋風建築。 日本大正村の初代村長である高峰三枝子、日本大正村議会の議長である春日野清隆の像が建つ記念館。 |
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ロマン館は高台の見晴らしの良い場所にあり、玄関前のテラスから町が一望できる。 |
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旧三宅家。恵那市指定有形文化財。 旗本の明知遠山氏に仕えた三宅家の住居。明智町馬木地区にあったものを移築。 元禄元年(1688年)、5代目の三宅与次郎重正によって母屋が建造されたとされる。 近世中期の民家の特徴が残されている。 |
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壁に似つかわしくない Rally Japan のポスター。 余韻に浸っているか。 |
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明知城跡を目指し、旧三宅家前の坂を上るとサインがあった。 明知城跡まで500m。距離と方向を確認して前進。 上りが続くのだろうと思っていたら、直ぐに急な下りになった。これを見て、先が思いやられ即座に断念。 |
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明智光秀ゆかりの地、金幣社 八王子神社へ向った。 天照大神の八人の王子を祀り、平安時代の天暦三年(949年)創建。千年を超える歴史を持つ産土神。 現在の社殿は、延宝四年(1678年)、領主遠山伊次公による造営。県の重要文化財。 神社境内の萬葉歌人・柿本人麻呂を祭神とする「柿本人麻呂社」前に、光秀が楓を植えたと伝わる。 唐門は明知城の城門を移築したものとされている。 |
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ここの色付きも見事。 |
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社殿には、明智氏の家紋である桔梗紋が彫られ大和絵風の歌聖柿本人麻呂の画像が祀られている。 |
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これが「明智光秀公手植えの楓」か? ここから大正天皇や大正時代の庶民の暮らしに関して展示している大正時代館を目指した。 行ってみると、全く大正感の無い外観にガッカリして通過。ところが、後に大きな見落としが判明。 |
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10:41明智の町の南に位置する土岐明智城・多羅砦へ到着。 ここは山頂近くまで道路が通じており有難かった。 しかし、多羅砦なのか落合砦なのか、ここは名称がややこしい。 |
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先ず向ったのは、ここにも有った「明智光秀公産湯の井戸」。 明智光秀公は、亨禄元年(1528年)3月10日、落合砦(土岐明智城・多羅砦)で誕生したと言われている。 三の曲輪に掘られた井戸からは、弥生時代の石器や焼け焦げた柱材、恵比寿の宝寿等が出土したらしい。 光秀の生誕地は明智か可児か?この先解明されるのだろうか? |
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山頂の落合砦本丸には、桝形、虎口、武者走り、客人接待場所、大手通りなどがはっきり残っている。 出丸(二の曲輪)からは見晴らしが良く、三河(北条、今川、松平、三宅)、中馬街道(織田、森)、信州(武田、真田)等の動きをいち早く捉え、狼煙を上げる場所だった。 明智の町の東の山裾に、一際赤く染まった所があるのを見つけ、もう一度町へ向った。 |
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10:59 ついさっき、ガッカリして通過した大正時代館の隣にレトロな「カフェー天久」を発見。 カフェーは明治末期の東京に始まり大正期に各地の都市に広がった。 「カフェー天久」は京都千本通りに大正12年に開店し昭和初期にかけて文化人の間に名を馳せた。 昭和61年、閉店に当たって昔懐かしいSPレコードや内装、什器一式を大正村に寄贈、うかれ横丁に復元。 そして、ここが大正時代館の入口だった。 |
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うかれ横丁を散策。 かつては飲み屋が立ち並んでいたそうだが、活気が無く残念。 |
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紅葉を探していたら木造の大きな建物を発見。 学校かと思ったら、大正初期に開業された「大塩医院」という産婦人科の病棟だった。 現在は、高齢者の方が懐かしい思い出を語り合って脳を活性化し、生き生きとした毎日を送るためのお手伝いをする「回想法」の、実践や研修、普及推進を行う明智回想法センターとして活用されていた。 |
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玄関には「思い出学校」の表札。目の前の風景は、正にその名の通り。 懐かしいおもちゃや生活用品、茶の間のセット等の展示もある。 まだその時ではないと自負しているが、興味深い。 |
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迷走中、レトロな旅館が建つ変則の四つ角に出会った。 左 : うかれ横丁へ 中 : 日本大正村資料館へ 右 : 於牧の方墓所へ ・・・
ここを選択 |
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11:16明智光秀の母、於牧の方墓所へ到着。 於牧の方は、丹波攻略の終盤で人質になり、信長の裏切りによって磔にされたと伝わっている。 入口に「敵は本能寺にあり」。そんな気持ちになるわな。 |
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悲運の最期をとげた、於牧の方を偲び、里人の民が建立したとされている。 将軍徳川吉宗によって制定された「公事方御定書」の翌年、1743年に建立された石塔には、当時の世評をはばかって「南無阿弥陀如来」とだけ刻まれ、樹齢400年を超える老樹「高野槙」を於牧の方にちなんで神木として今もなお崇拝している。 毎年11月末には供養祭が執り行われている。 |
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11:24 明知城搦め手登城口へ到着。 県道33号線から少しそれた所。駐車場もあり便利。 何と、ここから行けばたったの100mでゴール。 |
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いきなり急な階段。 上り切って吃驚。本丸まで190mに延びた! |
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また延びないか一抹の不安を抱きつつ上った所で、本丸が見えて安堵。 この山城はアップダウンがキツイ。旧三宅家から歩いて来なくて良かった。 |
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本丸へ到着。 明知城、別名 白鷹城は、宝治元年(1247年)に明知遠山氏の始祖、景重が明知を本拠地とした事に始まる。 戦国時代に現在の本格的な山城が構えられた。 |
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落合砦で紅葉の絶景を見つけ良かった。 見つけたポイントには辿り着けなかったが、ここからの眺めも素晴らしい。 |
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城の遺構は、山頂の二つの曲輪と通称「出丸」を中心として、東西400m、南北300mの城山全域に広がる。 特筆されるのは、主要な曲輪を囲繞する大規模な横堀・堀切とこれと連動する畝状竪堀群。 このほかにも出丸の巨石列や貯水池など見所が多い。 規模・構造ともに美濃国を代表する山城。ここを攻めるのは難儀。 |
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見晴らしが良い。 始発の明智駅を発車し恵那へ向う明知鉄道の列車が通り過ぎて行った。 |
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南側の出丸も広い。 |
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ここには館の礎石が残っていた。 |
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南の端は猿戻しと呼ばれる大竪堀。 ほぼ垂直の崖。これは簡単には登れないだろう。 |
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12:03 道の駅おばあちゃん市・山岡を目指して進み、気が付いたら小里川ダムだった。 最近は殆ど雨が降っていないが、前回と違い水量豊富。 このルートを選んだ理由は、今度こそデカ盛の季節料理 城山庵で昼を食べたかったから。 駐車場はバイクが多いが、車は少ない。これは行けると思ったが、90分待ちで前回に続き諦め。悔しい。 |
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12:28 JR瑞浪駅前の加登屋食堂へ到着。 城山庵のことは想定内で、ダメならここと決めていた。 場所も分かっていたので迷いなし。 土岐市の巨大からあげの加登屋食堂とは同じ店名でも関係は無いそうだ。 |
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目指すは、黄金の「あんかけかつ丼」。 大盛もあるのか。デカイなぁ。魅力的だが、最近食べ過ぎなので止めておこう。 並850円、大盛1,100円。 |
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卵がまだ貴重だった創業時からボリュームたっぷりで長年皆様に愛されて来たと誇るだけのことはある。 トロトロのタレがご飯に良く絡み、つい丼を持ち上げ掻き込んでしまった。 かつは肉厚1cmほど。しっかり火が通り、柔らかくて歯切れが良く、味も良い。 少し前からスーパーで、このお店監修の弁当として売っているのは知っていたが、俄然食べ比べたくなった。 |
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12:55 土岐川の河川敷に大勢の人影を発見。 皆さんハンマーで足元を叩いている。そうか、化石の発掘か。さすが瑞浪。 今年の6月にも約1,300万年前に絶滅したパレオパラドキシアの骨が見つかっており、熱が入る筈だ。 この場所、野外学習地で採集するには瑞浪市化石博物館で許可を貰う必要があった。 |
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2022.11.26(土)
ブルーインパルスの6機編隊飛行を真下から見て感動! |
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今日は『県政150周年記念 ブルーインパルス展示飛行』の日。 先週このイベント知り、即座に見物を決めた。 先ず考えたのは、航空自衛隊小牧基地から離着陸を見る。しかし、次のオープンベースは来年3月。 どうやら基地や空港からは見えない様なので、ルートになっている犬山に決め、成田山へ向った。 |
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11:25 先ずは春日井の上州家で腹拵え。 開店5分前だが、店内はほぼ満席。全員が水のサーブを待つ。 開店と同時に水のサーブとオーダーが始まった。 |
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いつも通り、大盛2枚、900円。 偶に食べると格別に美味い! どこかの食べ物サイトに上げるのだろ、色々なカットの写真を撮っている兄ちゃんがいた。 これ以上繁盛すると敷居が高くなるんだがな〜。 |
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12:39 時間があったので寂光院へ行ってみた。 今月初めとはうって変わり、紅葉が見頃になっていた。 思ったほどの混雑は無く、駐車場も少し離れた所は余裕あり。 |
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木曽川からゆっくり散策するのも良い。 |
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12:51 成田山へ到着。 本堂の前に大勢人がいるのが見えた。遅かったか。 |
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皆さん知っているんだね。 そして、考えることは同じだった。 昨日の予行は晴天だったが、予報通り今日は曇り。朝方は雨も降り心配したが、少し晴れ間も見え良かった。 |
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隙を見つけて、陣取ったのは3列目。 犬山警察が事故防止の放送。それほど混んでいないが、注意喚起は大事なこと。 |
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皆さん離陸の時を待つ。 本当はこんな密集に留まりたくないが、仕方ない。 あ〜、頼むからお喋りは止めてくれ〜。 おいこらジジイ、割り込んで来るな!油断も隙もない。 |
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無線機を持ち、予行を見たであろうオッチャンがルートを解説していた。 どうやら真上を通過するらしい。期待大! |
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13:17 離陸した飛行機が小牧山の上空に見えた。 小さな ・ だったが、肉眼では確かに見えた。 機影は直ぐに西の空へ消えてしまった。 |
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13:20 時刻j表通り、西の空からスモークを焚いた編隊が近付いて来た! |
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前の人の手が無ければ、、、 狙った通り犬山城も入った良いショットだったのだが、残念。 |
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ホンマや、ほぼ真上を通過。感動! 6機のデルタ隊形でスモークを焚いて行く「デルタ・ローパス」。 自衛隊の戦闘機は良く見るが、日本で編隊を生で見るのはきっと初めて。 成田山にして大正解だった。 |
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旋回して戻って来た編隊が、愛・地球博記念公園へ向けて犬山城の上空を南南東へ飛んで行った。 |
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これで半分ほど人が引け、空いた最前列に場所を移して名古屋の上空で行われる演目を待った。 |
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13:45 名古屋の上空に、真横に伸びるスモークが見えた。 |
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6機が上空で旋回して6つの輪を重ね合わせて描く「さくら」の一部が見えた。 2機が上空でハートを描く「ビッグハート」、5機が傘型隊形で進入して上空で5方向に散開する「レベル・サンライズ」もほんの少しだったが見えた。 名古屋城や名駅の超高層ビルからの眺めは大迫力だったのだろう。 |
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2022.11.27(日)
パークのイチョウは既に葉が落ちスカスカ。一週間遅かったようだ |
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『晩秋になると、1万本を超えるイチョウが色づき、まち全体が黄金色に染まる稲沢市祖父江町』へ。 例年見頃は11/下旬〜12/上旬と言うので葉が落ちる前に向った。 |
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9:57 祖父江ぎんなんパークへ到着。 11/19から今日まで「第25回そぶえイチョウ黄葉まつり」が行われており、人が多い。 日光川に架かる山西橋から先は通行止め。橋の手前で停車し作戦を思案。 と思ったが、パークのイチョウは既に葉が落ちスカスカ。一週間遅かったようだ。 |
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川の手前の住宅地に立派なイチョウが見えたので、そっちへ向った。 パークの様に屋台も出ていれば最高だったなぁ。 |
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日本有数のぎんなんの産地。 素晴らしい景観だが、臭いが、、、 |
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田圃の向こうに黄色い帯が続いていた。 それにしても、昨日こんな青空だったら良かったな〜。 |
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10:15 一宮市萩原町の大橋屋へ到着。 見つけたきっかけやそれが何時だったかは忘れたが、この外観を見て必ず行こうと決めていた店。 木枠の窓のロックは、棒の先にネジが付いた物だった。あ〜昔懐かしい。 |
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お好み焼き 350円。 意外や意外、直ぐに出て来た。 2つ折りタイプ。肉・玉子入り。大きく切ったキャベツが満々。 キャベツの好き嫌いで評価が分かれる所。私は、Good! |
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焼きそば 肉入り 320円。 青のりタップリで良い香り。 ソースは薄味。テーブルにソースが置いてあると嬉しい。 子供の頃に良く行った駄菓子屋を思い出す。焼きそば、並→大盛→デカ盛→デカデカ。懐かしい。 |
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