トコトコ中国バスの旅

 

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Update : 2023.2.25

 

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My Collection Monkey 訪問地 美食

 

【旅日記】

 

2023.2.4(土) どうにも胡散臭くて面白い。しかし、足を踏み入れる度胸は無く逃げ帰った

何だか面白そうな所を Google Map で発見。しかも近い。

 

寒さから引き籠りを是とする甘え心に火が付いた。

 

目的地は、犬山市の「牛岩の水」。

羽黒から東の尾張富士へ向うと黄色い大きな手書きの看板が出ていた。

 

派手な看板なので目に止る。

 

看板に従い、尾張富士大宮浅間神社西の点滅信号を右折。

すると、煙に包まれた山里の雰囲気の中に、屋根に角が生えた変わった建物が見えた。

 

どうやらあそこらしい。

9:58 牛岩の水へ到着。

 

OASIS、水の駅、牛岩の水、、、」、自称パワースポットとも。

 

いや〜、吸い取られる気がする。

愛万博寺。そしてこれが本堂。

 

「愛知万博インド館からお迎えしたお釈迦様の母様と釈迦誕生仏」もあって、自由に見学できるとか。

 

軒下には色々な仏像が並んでいる。

本堂南の庭に「牛岩の水」はある。

 

尾張富士から湧き出た天然のミネラル水。涸れることが無いらしい。

 

折角だが、異様な雰囲気に押され近寄れず。

 

NHKの取材も受けたと書いてあった。これは内容が気になる。

10:06 逃げるように尾張富士大宮浅間神社へ向った。浅間神社の1つ。尾張富士の山頂にある。

 

子預け発祥の神社。子供の守護の神とされ、小児の虫封じ、家内安全、開運厄除、商売繁昌、交通安全、安産子授、学業向上のご利益があるという。

 

尾張富士は標高275mの山。隣の本宮山と高さを競い合ったことに由来する、8月の「石上げ祭」が有名。

山頂には、多くの小石が積み上げられている。

古くから武士の信仰があり、織田信長や徳川家康、犬山城城主の小笠原氏、成瀬氏の保護があった。

10:19 尾張富士の裾の急坂路を上り、明治村を経由して入鹿池に回った。

 

ワカサギ釣りのボートで賑わう入鹿池を久々に見た。

12:00 上州家で昼食。

いつもの「大盛2枚」をオーダーし、一息ついてから壁のメニューを見たら、値段に紙が上貼りされていた。

そうか、ベースが100UPしたか。この所の物価上昇じゃあ仕方ない。

 

上州家は3rdチョイス。本命のお食事処「道風」はPM 5:00からでボツ。次の「謝々」は、ご病気で最近閉店。

「謝々」の閉店は本当に残念。先月、駐車場が満車でパスしたことが悔やまれる。待てば良かった。

 

2023.2.11(土) どうにも刺さるものが無く不発だった

“古い街並み”のキーワードでヒットした中に、近場ながら知らなかった「中小田井町並み保存地区」があった。

しかも、こだわりの中華蕎麦屋まであったことで即決。

 

場所は名古屋市西区。名鉄中小田井駅東。

 

恐ろしいR302は避け、名古屋空港南から新川堤防を経由し庄内緑地を目指した。

10:21 庄内緑地北の星神社前で地図をチェック。

 

星神社は、仁和年間(885-888年)にこの地の付近に住んでいた大江音人の子孫により社が建立されるなどしたが、戦火によって社殿とともに宝物や神器・神社の縁起について記した書物などを焼失。

かつては48反(約4.76ha)の社領を持っていたが、豊臣秀吉の時代に召し上げられたという。

庄内川に限らず、昔は大雨が降ると川がよく氾濫した。川の氾濫は、川の神様の怒りだと考えられており、神様を祀り祈りをささげ怒りを鎮めようとして建立。現在は縁結び・夫婦円満の社を謳い、87日(旧暦77日)に星祭(七夕祭り)が盛大に行われている。

10:28中小田井町並み保存地区の北端、名鉄中小田井駅前に到着。

 

古い街並みの趣あり。

 

昭和62年(1987年)、名古屋市が「街並み保存地区」に指定。

江戸時代の寛文7年(1667年)には、名古屋城下から中小田井を通り岩倉方面に至る岩倉街道が通じ、岩倉方面から、大根、ごぼう、人参などの野菜類がこの街道を通って搬送され、枇杷島の青物市で販売されました。

人々の往来が盛んになると、中小田井では、味噌や油などの生活用品を販売する店舗などが建ち並ぶようになり、岩倉街道を利用する商人などで賑わった。

 

そうだったのか。

先ず町並み保存地区の南端まで、超低速でキョロキョロしながら素通り。

 

街道沿いには町家、土蔵、長屋などの歴史的建造物が建ち並び、五所社、東雲寺、願王寺といった歴史ある寺社とその境内の緑が一体となって町並みを形成している。

中小田井の町並みは、街道沿いに町家が建ち並びながらも、比較的敷地に余裕のある農村的な様相も特徴となっている。

善光寺別院 願王寺。願王寺として開基。中世には、松寿院長興寺と称された。

明治年間、信州善光寺より本尊善光寺如来を勧請し、昭和4年(1929年)善光寺本堂が建立された。

 

天長6年(829年)、疫病が流行し多くの死者が出た。越前の高僧・澄純が現在寺のあるところを訪問し、患者のために滋覚大師の薬師如来を安置し、疫病消除の秘伝を行い、治療に当たったのが寺の始まりといわる。

その後天正元年(1573年)、秀純のとき、小田井城主・織田信張が鬼門除けの祈願寺として堂宇を寄進し、七堂伽藍が完備された。

参道に烏天狗の石像が立つ。

隣には、、、何じゃこりゃ?

 

韓国済州島の守り神であるトルハルバン。昭和58年(1983年)に設置された。

 

なぜ?不思議。

街道が湾曲しているのは防御のため?

現在残っている歴史的建造物のほとんどは、明治24年(1891年)の濃尾地震後に建てられたもの。

 

平入り2階建の建物に格子付きの建造物が多く残る。

 

河川の氾濫に悩まされてきた地域性から、仏壇を2階へ巻き上げる構造を備えるなど、洪水を意識した構造が見られる建造物もある。

米屋の店先は懐かしさ満々。

古民家カフェもある。

 

“五平餅入りきしめん”は気になる。

割り合い車の通りが多い。

 

この細い道を良く走るわ。

現役住宅の様子。

隣はカフェ。

10:49 中華蕎麦 てる家へ到着。

 

幟が出て、黄色の回転灯が回っていたが、未だ回転していなかった。

 

店先の椅子に座って開店を待った。

 

ポツポツ客が集まり、定刻の11:00に開店。1番に入店。

オーダーは、中華蕎麦(梅) 990円。

 

美味しく食べられよう、麺は二玉ずつ茹でるとのこと。見ていると、サーブに結構時間が掛かっていた。

1番で良かった。

 

確かに麺は美味い。スープもバッチリ。量が少ないのは寂しいが、飲み干し派には良い加減かも。

唯一にして大きなガッカリは、チャーシュー。食べログの写真を見て厚切りだと思っていたら、、、

12:10 岩倉街道を北上し、Book-off岩倉店を経由して岩倉城跡へ立ち寄り。

 

文明11年(1479年)頃、「織田伊勢守家」当主の織田敏広(織田信安の代とも)によって築城された。

「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)は尾張上四郡を支配。尾張守護所が置かれた清洲城を拠点として尾張下四郡を支配した「織田大和守家」(清洲織田氏)に対し、武威を示し尾張では清洲城と並び、重要な城だった。

 

標高10mの低い台地上に築かれた平城。東西約104m、南北169mの規模。南方の小田井城と相対していた。現在は跡形なし。城を示すサインは、本丸跡のこの一角だけ。暫く気付かず直ぐ前を通過していた。

弘治2年(1556年)、稲生の戦いで城主織田信安が、「織田弾正忠家」当主の織田信長の弟で末森城主織田信行(信勝)に味方したため、信長と対立。永禄元年(1558年)、浮野の戦いで信安の跡を継いだ嫡男信賢は敗れ、翌永禄2年(1559年)、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城した。

 

安政7年(1860年)に建立の「織田伊勢守城址」の碑が残る。

 

それにしても、今日はどうにも刺さるものが無く不発だった。

 

2023.2.18(土) 今では許可が下りそうにない昔風の歩道橋からの眺めが抜群だった

ひょんなことから発見した稲沢貨物駅見学コーナーを目指した。

10:00 県道136号一宮清須線、四ツ家追分の三叉路を北へ折れた。

 

北へ向う道は鮎鮨街道、西へ向う道は美濃路。

間も無く、線路脇に橋りょうの残骸があった。

 

巨大で大変な重量物、こうする他無いか。

 

正面に歩道橋。鉄道好きには堪らないだろう。

リベットで止められたプレートに「日本国有鉄道 1961」と刻まれていた。

 

どこに架かっていたものか?

早速、機関車が来た。更に東海道本線にも。

 

いつもは四ツ家追分西の踏切で列車が来ないことを祈るが今日は逆。どんどん来い!

勿論、歩道橋へ上った。

レールの数が物凄い。よく事故が起きないものだ。

 

35年ほどまえであろうか?SLがここを走った。

 

当時、職場が直ぐ東側にあり、グランドからその雄姿を見送ったことを思い出す。

今の安全基準では許可が下りそうにない昔風の歩道橋からの眺めは抜群。

10;24稲沢貨物駅見学コーナーへ到着。

 

常時見学できるのかと思いきや、そうではなかった。

 

毎年「鉄道の日」を記念して、1日だけ見学ツアーがあるらしい。しかも、「小中学生及びその保護者」が条件。

それとは別に、JR東海主催の「さわやかウォーキング」イベントで9月に公開されていた。

 

機関車3両が展示され、運転席内部も見れたそうだ。

 

しかも、一般開放された様子。今年も有ったら行ってみよう。

10:30 稲沢駅東の陸橋へ上った。

 

ここからの眺めも素晴らしかった。

しかし、沿線の住宅は騒音・振動が激しいだろう。

 

それも慣れか?

10:45 桃太郎マークの機関車を見送り帰路に着いた。

11:17 まぐろの家 心に到着。

 

計画から2分遅れたが、2番目に記帳し3人目。これで目的の「限定5食」の海鮮丼ゲットは間違いなし。

 

その後続々と増え、開店時には12人以上並んでいた。やはり開店15分前着が良い様だ。

 

記帳は7人だったので心配したが、揉め事は起きなかった様子。

海鮮丼 950円。これは凄い!刺身が山盛り!

 

刺身をガッツリ食べたい時はコレ。ボリューム重視の時は焼魚+刺身定食が良さそう。

 

どっちにしろ、お気に入り目下No.1

 

日曜・祝日はランチが無い。旅する土曜日のタイムマネジメントが難しくなった。

 

2023.2.25(土) ちょっとしたワインディングを上る。気持ち良かった。景色も良い

ひな祭りの話題が日増しに多くなる毎日だが、雨風が続き暖かくならない。

そんな訳で、出掛けるのが億劫。

 

しかし、青空なのに燻っているのも勿体無い。

 

そこで、「展望台」をキーワードに見つけた岐阜県各務原市の伊山の森へ行ってみることにした。

9:49 犬山城下町へ到着。

 

人は疎ら。犬山城の廻縁には人の姿。登城するなら朝一に限る。

ライン大橋を渡り岐阜県へ。

良い眺め。

10:01 名勝木曽川展望台へ到着。木曽川北岸にポツンと聳える(標高173mでは言い過ぎか)伊木山の中腹。

 

県道から、ちょっとしたワインディングを上る。気持ち良かった。景色も良い。

 

立派な石碑が有っても良さそうな名前だが、やぼったい手書きの看板があるのみ。

 

土台の石垣は立派!

石垣の階段を上ると展望台へ到着。

 

お〜、絶景!

 

駐車場から近いのが、安心で嬉しい。

視界を遮るものは何も無い。

岐阜城や伊吹山が良く見えた。

 

御嶽山は山陰になり見えず。

永禄8年(1565年)、織田信長が美濃攻めの際、ここに城を築いたと言われている。

 

が、諸説あるらしい。

 

かつて、伊木山頂上には東西六間(約11m)、南北四間三尺(約8m)の石垣台形(天守台)があった。

11:00 大八へ到着。久々。

 

Aセットのチャーハン+ラーメン700円。やっぱり値上がっていた。100UP。材料費高騰では仕方ない。

それよりも、元気に営業されてて良かったよ。



 

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