トコトコ中国バスの旅 |
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▼北京一卡通編 #144−1
【旅日記】
2020.8.8(土) 諦めていた沿河城。しかし、、、
6:15 アパートを出発。目的地は門頭溝区の沿河城。随分前にリストアップしたが、バスが少なく日帰りは無理と諦めていた。ところが、改めて調べてみるとM33路とM15路で上手い具合に日帰り出来ることが分かったので早速チャレンジ。 先ずは東直門北から阜成門北まで44路外環に乗車。 朝方雲が多く心配したが、天気はまずまず。極暑にならないことを祈る。 |
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6:56 阜成門から快速公交4線に乗車。 阜成門北から徒歩で移動して来ると、バス停到着寸前に発車して行った。残念! 10分ほど待ち次のバスに乗車。 |
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7:38 候庄子で下車。 斎堂へ向かう892路のバス停では結構な人数がバスを待っていた。これ以上ライバルが増えないことを願う。 何度も来たバス停だが、考えてみるとCOVID-19騒ぎが始まってからは今回が初めて。しかし、そんな久し振り感は無い。 |
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7:47 斎堂行きのM22路が来たので乗車。 M22路と892路は同じルートを走る。擦れ違うバスを見ると、最近はM22路が主流になっていた。 立ち乗りを心配したが、狙っていた左の窓側席がゲットでき、先ずは一安心。 |
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ところが、発車して間もない京門鉄路広場から信号渋滞。約600mの前進に20分以上費やした。 相手はガラガラ。上手くコントロールしてくれ〜。 案の定、復路もここで渋滞。 |
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10:00 斎堂到着。ところが、場所がいつもと違う。 それはまだ良い。問題は、乗り換える予定だったM33路に間に合わなかったこと! M33路は、9:50斎堂公交場站を発車する。斎堂へ到着するのは約4分後。たった6分遅れ。悔しい!渋滞が無ければ間に合っていた。 |
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先ずは腹ごしらえしようかと考えつつ、食堂が並ぶバス停へ向うと検問が見えた。 検問の20m先がバス停だが、屋根が低く大型バスは通過できない。途中の村々の状況から予想していた通りだった。 あゝ、検問を見た途端に食堂を物色する気が失せた。さあ、どうしよう? |
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沿河城へ向う次のバスは、復路に使う予定だった13:05発のM15路。行くにしても3時間先。こんな時のために考えていた斎堂城遺址へ向った。 G109を東進。この道は「歩道無し、交通量多い、スピード高い」。歩く道ではない。 |
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自転車は更に恐ろしいのでは? |
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斎堂大街。この辺りの筈だが、、、 |
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影も形も無い!ネットで見た写真は何だったのだろう? 村の東側入口は封鎖。しかし、フェンスに大きな穴が空いている。ハハハ。 |
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約4時間掛けて来て、このまま帰るのはさすがに寂しい。標識の出ていた灵岳寺へ行ってみよう。 |
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斎堂公交場站で情報収集しようと思ったが、封鎖されていた。 |
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新興村。 |
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灵岳寺が見えた。足元に検問も。 面倒な事にならないよう、Uターン。 |
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犬にも感染例が出ていると言うが、彼は検問フリーパス。 |
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先ほど潜った新興村のアーチ橋に登ってみた。 おっ、道。行ってみよう。 |
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元々は水道橋だったようだ。 反対側は畑に通じている。右手の山に保安の背中が見える。気付かれないことを祈りつつ前進。 |
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いや〜、畑の先がフェンスで閉鎖! 戻るか進むか?少し考えたが、壁沿いに進むことにした。 |
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しかし、フェンスは切れていない。良くやるよ。感心する。 切れ目は無いが、フェンスの上部が曲っている所が一ヵ所あった。明らかに乗り越えたと思える痕跡。 ここは先人に倣って、、、 |
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しかし、その先にも検問。 近付いてみると、誰もいない。ホッとして通過。 新興村の由来なのか?山の上に立派なアパートが立ち並んでいた。 |
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更に山を登ると、斜面に造った住宅街への枝分かれが続いて行った。 検問の辺りから斎堂へ戻って行く計画だったが、明らかに離れて行っている。目ぼしいスポットも無さそうなのでUターン。 |
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坂の上から地形を確認すると、検問が計画した道を封鎖していた。これは困った。 検問に戻り様子を窺うと、フェンスに通路が作ってあった。これはラッキー。そこを通って計画のルートに戻った。 |
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立派なアパートに道路。毎日歩いて上るのは辛いが、クルマがあれば快適な生活が送れそう。 |
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斎堂バス停横のグランドが見えた。やはり結構上っていた。 |
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斎堂国家気象観測站。平地に作るものかと思っていた。 |
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▲標識の向こうで、前を歩いていたオバちゃんの姿が左に消えた。 |
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思った通りショートカットコースがあった。 一か八か後に続いてみた。 |
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獣道だが、、、 |
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通り抜けられた! そして、また検問。人の姿が見える。しかし、村から出る方向なので大丈夫だろう。 思った通り、素通り。しかし、入って来る人もチェックしていない。皆顔見知りだから? |
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11:10 斎堂バス停に戻った。さぁ、どうしよう?1時間歩いて来たが、全く収穫が無かった。このまま帰るのは余りにも残念。今日の旅日記がこれで終了しては、全く面白くない。タッチ&ゴーになるが、13:05発のM15路で沿河城へ行ってみることにした。 そして、立派な北京市第八中学前の、 |
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木陰に腰を降ろした。 時折吹く風が、爽やかで気持ちが良い。行き交う人やバスを見て時の経過を待つ。 北京市内へ行くバスは、30分〜50分間隔。ハズレの時間帯になると待ちが長い。沿河城から戻ってきた後はどうだろう?少々心配になった。 |
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13:08 M15路が来た!時刻表通り運行していて良かった。 3本/日の運行。日中はこのバスだけなので乗客が多く、ほぼ満席で発車。 観光客は、キャンプ風のオッチャン2人と私の3人。後は地元の皆さん。 |
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G109を東に走り始めたバスは2kmほど先で左折し、S211斎幽路を珍珠湖方面へ向い北に進んだ。 |
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最初の停留所は白虎頭。 山を登り始めたら、車内が騒々しくなった。オバちゃんが指を指して、隣のオッチャンに説明している。聞くと、左側に虎が見えるとのこと。オッチャンは右の窓側に座っており残念がっていた。 その場面が来た。虎形の山が現れることを想像していたら、白い虎の像が道路脇にあった。カメラを準備したが、間に合わず。次の牛戦村には、黒い牛の像があった。虎よりも牛の方が強そうだったなぁ。 |
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13:34 沿河口で下車。さて、どっちへ行けば良いのやら?このバスは、13:50に終点の向陽口を発車し折り返して来る。それを逃すと、斎堂一泊の確率が極めて高い。第一優先は、戻って来るM15路に乗って帰ること。 しかし、バス停のサインを見て、とんでもないミスを犯したことが分かった! バスの中で、沿河城に最も近いバス停をスマホで検索してヒットしたのが沿河口だった。しかし、先ず目的とした沿河城古城址は、2つ先だった!ここまで、一区間がとても長かった。ここまで来て、これが落ち??? |
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時間を見ながら、小走りで先に進んでみた。 13:40 意外や意外、沿河城西口バス停が見えた。 |
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沿河城西口バス停の手前に村の地図があった。 現在位置は、左下の●。 |
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残り時間を考え躊躇していると、バス停に座っていた婆ちゃんが、「右へ行け」と声を掛けて来た |
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少々心配だったが、「ここまで来たのだから」勝負してみることにした。 |
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13:47 目の前に城壁が現れた。着いた!目の前にバス停もある。もう安心。 しっかり調べれば、こんなに冷や冷やしなくても良かったが、結果オーライ。 |
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西門が見えた。村の検問があるが、ロープが降ろしてある。あそこまで行ってみよう。 |
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永勝門。立派な門に、立派な城壁。こんな山の中に。 |
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中に置けないからとは言え、ここを駐車場にするのは止めてくれ〜。 |
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地図によると、沿河城は沿河口バス停から北西に見えた山。分からんな〜。 |
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北京市は1984年に保護指定。 |
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残念ながら、本日の見学はここまで。 |
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計画通りならば、ここに3時間半ほど滞在。長城らしさを満喫し、山から村の全景を見渡す筈だった。秋にもう一度来てみよう。 |
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沿河城東口まで城壁が続いているようだ。 |
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間に合って良かった。 もし間に合わなかったら、次は門頭溝龍門口村17:50発のM33路。沿河口で待ち、乗れたとしても斎堂では北京市内行き最終には間に合わない。沿河口から斎堂は14.1km。徒歩約3時間。厳しいな〜。 |
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沿河城西口バス停の後方に朽ちた長城のような風景が見えた。確かめたい。 古長城の方向を教えてくれた婆ちゃんが、さっきと同じベンチに座っていた。バスから手を振ると、驚いた表情で見送ってくれた。 往路は停留所で停車の度に息絶え絶えで発車していたマイクロバスが、下りが続く復路は快調に飛ばす。 |
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14:53 斎堂でM22路に乗車。M15路を下車してから25分ほど待ち。昼の学習から言うと、やや運悪し。しかし、座れただけで十分。2時間の長旅、席が無かったらと思うとゾッとする。 候庄子で快速公交4線に乗り換え。続いて、展覧路で101路に乗り換え、終点の紅廟路口東で下車。徒歩で欧記専業麻辣燙に向かった。何を食べるかアレコレ考えたが、疲れた体には刺激物が一番との結論。 |
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散々汗を掻いたが、微辣の麻辣燙で改めて汗だくになった。ビールが美味い!つい2本目に行っていしまった。隣の若者は、保冷バッグに缶ビールをタンマリ仕込んで持ち込み。準備が良い。見習わなくては。 本日の歩行距離10.8km、15,453歩。上った階数11階。計画が大きく変わってしまったが、粘った甲斐あり。 9:50発のM33路に乗れば、諦めていた珍珠湖景区へも行けることが分かった。但し、沿河口から5.5km歩かなければならないが。涼しくなったらチャレンジしてみよう。 |
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▼後日記−危機一髪から大逆転 |
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’20.10.9(金) 霧のち晴 前回の反省から6:00にアパートを出発。今回は、“幽州大峡谷→沿河城→珍珠湖景区”の梯子を計画。 東直門北から特12路外に乗車。阜成門北で下車し、快速公交4線に乗り換え。7:20に候庄子で下車。 先週、同じ時間にM11路で百花山へ行った。同じくM11路が来るものだと思っていたら、7:45に斎堂行のM22路が来た。バス路線のNo.よりもが、早く斎堂に着くことが大事。迷わず乗り込み座席を確保。 世間は昨日で国慶節の連休は終了。連休明けの初日とあってマイカーが多い。これで心配が的中。前回大渋滞した交差点で、またも大渋滞。不安が募る。 候庄子から斎堂までは66.5km。先週のM11路は9:00に着いた。状況は違うが2時間あれば着くだろうと思っていたが、乗り換えるM33路が斎堂公交場站を発車する9:50まで「斎堂30km」の標識で残り時間45分。拙い。前回の二の舞。 運転手は結構頑張るが、乗降が多いことやコンクリートミキサーが行く手を阻むこと等でスピードが上がらない。 9:45 斎堂へ到着。良かった、間に合った!危機一髪だった。 |
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9:56 M33路が来た。 今日はバスが一回り大きい。ライバルは多いが、慌てる必要は無い。 左端のオッチャンは郵便局員。最近、市内のバスで流れている映像に、自転車を押して川を渡る郵便局員が出て来る。場所は正に沿河城。このオッチャンでは?
⇒ ★やっぱり本人だった! |
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10:20 前回同様、沿河口で下車。 今回は計画通り。M33路はここを左折し、門頭溝龍門口村へ向うため。 前を行く3人は、郵便局員とトレッキングの夫婦。この人達には帰路にも遭遇。特に夫婦は、乗り換えバス停が異なっていたが沿河城から展覧路まで同じバスで帰ることになった。 |
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左前方の山の中腹に洞窟らしき所が見えた。先週行った響堂山石窟の印象が強く、つい洞窟に目が行く。 ズームを上げると、やはり洞窟。仏像らしき影も見える。 よくもまあ、あんな絶壁に。 |
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第一目的地は幽州大峡谷。地図によると、ここから約1km。 しかし、前方に見えた標識は「幽州12km」。大峡谷の案内は無し。マズイかも。 |
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右へ行くと沿河城古城址。先ずは左へ進んだ。 |
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山に向かって行く。 |
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左は崖、右は永定河。逃げ道無し。 |
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地図によると、この辺りを左折し15mとのことだが、案内が一切ない。 |
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ココが幽州大峡谷? たしかにキャニオン。先の風景が気になる。 山裾まで行ってみたが、ここは登れない。 車で来ていればもっと先まで確認する所だが、先の行程が長いので遠目に見て目的達成とした。 |
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殆ど交通量が無い所を見ると、目ぼしいポイントがあるとは思えない。 |
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10:55 幻想的な風景を見ながら、沿河城古城址へ向う。 |
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ここは100kmウォーキングコースになっている。 74km地点。ん?待てよ。向こう側は、、、 |
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46km。合わせて120km。どうなっとんじゃい。 沿河城古城址よりも先にあったサインは、両面の合計距離が160kmだった。しかも、何枚も。どう言うこと?理解不能。 |
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永定河の沈水橋から幽州大峡谷方面を望む。 |
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往時と変わらぬ風景。 |
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沿河城の入口に戻った。ここを左折。 |
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前回は左のX008沿向路を進んだが、今回は右の坂を上った。 |
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城外もレトロな村。 |
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古城の西門が見えた。 あれっ?あの赤い文字は? |
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この2カ月の間に取り付けられたものだ。景観台無し。 門は裸電球で縁取られていた。良く有るライトアップ手法だ。文字も光るのだろう。 しかし、これではなぁ〜。 |
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西門前の郵便局は変わっていない。 ここも市内のバスで流れている映像に出て来る。 |
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今回は門を潜り城内を散策。 |
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往時の雰囲気が残る。 |
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中心に建つ劇場。 村人が集まり劇を楽しんだであろう広場は駐車場と化していた。小さな古城、車の乗り入れは禁止すれば良いと思う。 |
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古樹の陰で四方山話に花が咲く。 |
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立派な古民居が残っている。 しかし、どこも門は閉ざされており、中の様子は窺えない。 |
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上衙門。通称“花大門”。明代の守備府。 長城を目指し南側へ向った。 |
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村が見下ろせると事まで坂を上ると長城が見えた。 烽火台まで行ってみよう。 |
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と思ったら、木の枝で通行止め。 簡単に越えられるが、無理は禁物。他のルートを探そう。 |
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細い路地を進むと、長城に出た。 いや〜、荒れ放題。ここから登ることは無理。 |
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烽火台を目の前に、ここでの登城は断念。 立派な門が開いていた。内部が気になる。 村の北門。沿向路に面している。 |
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村は頑丈な城壁囲まれている。ここは、華北地区唯一の石頭軍事古城。 東門。遠目にも修復で近代化した姿が見て取れる。 |
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東門手前の営房跡。兵士宿所だった。 近年は村人にとって大事な銀行。2時間の昼休みが、留学時代を思い出す。 |
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東門の裏山にもう一つの烽火台。 しかし、こちらも通行止め。 |
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古城で一般的な食堂、商店、宿が無い静かな所で良かった。 山に囲まれたこの地で生活して行くのは大変なことだっただろう。 |
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11:40 沿向路を珍珠湖景区へ向って歩き始めた。 珍珠湖景区まで4.3km。この間、M15路が走っているが、3本/日で次に来るのは前回同様帰りに乗る予定のバス。歩くしかない。 |
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ずっと永定河と同じレベルであれば良いが、山に沿って上って行った。 所々で崩落。見るからに脆そうな地層。山から離れて歩いた。 |
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一気に上った。 |
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沿河城古城が眼下に見渡せた。 |
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この絶壁の山の中腹にも洞窟が見えた。 |
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岩が屋根になっている。中に何かある様に見える。 |
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前方に鉄道の陸橋が見えた。陸橋が約2/3の地点。まだまだ遠い。 |
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ヘアピンカーブで一気に下る。 |
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斜めに走る地層がクッキリ。 手前の崖はいつ崩落してもおかしくない。道路の工期が早い秘訣はこういう所にあるのだろう。 |
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夫婦が枝切り鋏を持って道端で木の実を収穫。 |
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これが大量! 私が親指を立てるとニコニコして、何か言っていた。 |
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12:07 陸橋が近付いた。もう一頑張り。 |
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通り過ぎる列車を何度も見たが、どれも北京から河北省へ向う貨物列車だった。 調べても客車は見つからない。今はもう走っていないようだ。 |
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12:10 やっと珍珠湖入口に着いた。 售票処が見えた。しかし、閉まっていた。 |
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しかし、ゴールは5km地点と思うマイルストーンがまだ4km。 |
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12:23 M15路が折り返す向陽口バス停が見えた。 バスの発車は13:50。時間はたっぷりある。 但し、これはバスがここまで来ればの話。もし来なかったら、悲惨な事になる。 地図によると、直進するのが良さそうだが通行止め。 |
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橋を渡って向陽口の村から攻める。 |
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沿河城方向から流れて来る永定河が、この先で珍珠湖となる。 いや、もうなっているのかも。 ネット情報によると、湖沿いに遊歩道がある。橋から見える遊歩道が続いているのか? |
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橋の袂から遊歩道に降りることが出来たが、急な階段で人が往来している様子も見られなかったので先ずは村の中に入ってみた。 出くわしたオバちゃんに昼飯を食って行けと勧められたが、まだ腰を落ち着ける余裕は無い。 |
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正面に宿が見えた。もし帰れなくなっても寝床は確保できそう。これは安心材料。 |
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永定河に出ると、既に遊歩道は切れていた。 案内板も無いし、地図を開いても分からない。困ったなぁ。 |
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ここでは野菜類は獲れない様子。移動販売車は使命重大。 |
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村の中をウロウロしたが、簡単には近付けないし進めないことが分かった。 ネットで見た絶景には出会えていないが、満足した。 |
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12:34 帰ろう。 |
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折角なので遊歩道を進む。 |
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夏は川遊びで賑わうのかも。 |
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美しい所だった。 しかし、あの通行止めが無ければ、もっと素晴らしい風景に出会えたかも。 バスの発車まで随分時間があるので、沿河城まで歩いて戻る事にした。 沿河城まで戻れば時間通りバスが走っていることは前回確認済みなので安心。 |
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例の木の実収穫夫婦にまた出会った。すると、オッチャンがリンゴを食えと差し出して来た。一度は遠慮したが、重ねて食えと言われ貰った。早速食べると、甘さ控えめで美味しかった。 暫く進むと、後ろからホーンを鳴らされた。振り向くと、あの夫婦。今度は、オバちゃんが水を飲めとボトルを渡そうとする。半分残ったボトルがバッグにあるので断ったが、それでも受け取れと聞かない。有り難く頂戴すると、どこまで行くのか聞かれ「斎堂」と答えた。すると、今度は「乗って行けと」言ってくれた。有り難い申し出だが、さすがにそれは断った。 彼らは、少し先に停車し、また収穫を始めた。私は改めてお礼を言い、横を通り過ぎた。便乗させて貰うと、彼らの予定も狂ってしまったことだろう。 |
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13:31 沿河城バス停へ到着。良かった。 4分後、予想した13:35ピッタリに、向陽口方面へ向ってM15路が通過した。 車内はガラガラ。そこに、朝のトレッキング夫婦が乗っていた。どこへ行って、どこから乗ったのか?不思議だ。 バスを待っていると、木の実収穫の夫婦が来た。最後の別れを言い、彼らを見送った。親切な人達だった。 |
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13:56 M15路が戻って来た。おやおや、トレッキング夫婦がさっきと同じ場所に座っている。私は斎堂で下車し、M22路に乗り換え。彼らは、終点まで行き、M22路に乗ってやって来た。タイミング次第では一本遅れるリスクのあることは知らなかった様子。きっと向こうもビックリしたことだろう。沿河城には郵便局員もいた。彼もM15路に乗るのかと思ったが、彼は乗らずトレッキング夫婦に手を振っていた。 斎堂へのバスは一日往復3本。観光客には使い辛いが、生活者目線では上手く考えた朝昼晩の時間設定。 本日の歩行距離15.4km、24,344歩。上った階数14階。北京市の中でも相当な辺境地。計画通り回る事が出来て良かった。また一つ齢を重ねる前日に、心温まる親切な夫婦に出会えたことが一番印象深い。 |