トコトコ中国バスの旅

 

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Update : 2022.2.27

 

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My Collection Monkey

 

【旅日記】

 

2022.2.11(金) 尾張・美濃、歴史と食の旅

昨日の霙交じりの雨が上がり、すっかり晴れ渡った。絶好のツーリング日和。

 

一週間遅れで、尾張・美濃、歴史と食の旅へ出発。

2/5(土)、待ちに待った土曜日が来た。しかし、生憎の雪。積もるほどではないが、濡れた道路を走る気にはならず楽しみにしていた「中山道うとう峠ツーリング」は見送り。

ポッカリ空いた時間は、北京オリンピック中継を見ながらネット情報を基に当HPを今風に更新。ページが増えたのでベースの更新は大変。おまけに、更新の度に崩れるソースコードの手直しが必要で毎回手間が掛かることになってしまった。。。

 

この雪、珍しく日中も降ったり止んだりが続いた。しかも、日曜日の昼過ぎまで。折角の土日が、、、あゝ残念。

とガッカリしたが、良い事もあった。

家で「瀬戸焼そばの素」なるものを発見。知り合いから貰ったとか。

近所スーパーで一番高価なせいろ蒸し麺を買い、“本格派調理(たれの二度入れ)”に倣って作ってみると、美味い!先月食べた瀬戸の大福屋と良い勝負。抜群の再現性。

 

ネットで検索すると、一発でヒット。メーカーは分かった。次は近所のスパーで調査。しかし見つからず。

改めてネットで調査。イオンネットスーパーに出ていたので、店舗に行ってみたら有った!取り敢えず3つ購入。

 

良い物を知った。パッケージ裏側の“瀬戸焼そばとは”の薀蓄も笑える。

8:50 出発。先ずはガソリン給油。ガンの固いレバーを微調整しようとしていたら、勢い余り溢れてしまい帰宅するまでガソリン臭が付いて回ることに。

 

9:35 犬山市のひばりヶ丘公園へ到着。

良し悪し分からないが、公園に上がる階段横の通路を通り見晴らし台へ行ってビックリ。巨大な先客がいるじゃない。ここでピザの移動販売とは考えたもの。大繁盛間違いなしだろう。

全長100mと言われる長い滑り台のスタートゲートからの眺めが特に絶景だが、見晴らし台でも十分満足。

 

と言うのも、ここに来た主目的は、以前車で通りぬけようとしたが道幅が狭くなり諦めてUターンした山道の確認であるため。

 

いざ出発!

尾張パークウェイに架かる陸橋を渡り、細い山道へ。

 

「こんな所へ良く入ったなぁ」と思うほど道幅は狭い。

以前Uターンしたのは、その一番狭い区間。もう少し頑張っていれば通り抜けられていた。

所々にすれ違い用の退避エリアがあり、対向車が来てもすれ違える。

 

出口は寂光院の南。覚えておこう。

9:48 予定外だが、寂光院へ寄り道。

 

足を踏み入れるのは恐らく初めて。取り敢えず、行ける所まで行ってみようと急坂路を上ってみた。

山麓広場が終点。バス停あり。本堂などへはココから徒歩。スポットと目安時間看板があるのは、さすが日本。

 

登るつもりは無かったが、看板に「織田信長も眺めた絶景展望台」の文字を見つけ気が変わった。

永禄8年(1565年)918日、柴田勝家を伴い清州城鬼門鎮護のため参詣。黒印50石、山林50町歩を寄進。規模のイメージがつかないが、相当凄いのだろう。

本堂まで10分。これが結構キツイ。日頃の運動不足を痛感。

 

寂光院のある継鹿尾山は、かつて“霊山”と呼ばれたと言うだけあり霊気漲る感じがした。

200段を越える階段を上り切ると、歴史を感じる本堂と随求堂が現れた。

 

2つの御堂は回廊で結ばれており、先ずその下を潜り本堂の表へ。

本堂は明治12年(1879年)再建、随求堂は文化2年(1805年、江戸時代)創建と推定。

 

どちらも国登録有形文化財。

本堂の本尊は千手観音菩薩。60年に一度、甲子年に限って御開帳される秘仏。次回は2044年、22年後か。

 

本尊の前に南北朝時代作と言われる像が立つ。これを拝めただけでも十分有難い。

 

 

随求堂の本尊は大随求菩薩。西国三十三観音や天井画、回り縁から見える風景も素晴らしい!

いよいよ絶景展望台へ。

 

ここの看板には「信長も眺めたはずですね!」と、トーンが弱くなった。大丈夫か?

目の前に犬山城、木曽川の向こうに岐阜城。

南には小牧山城。

 

確かに絶景。

階段が登れなくても大丈夫。自動運転のスロープカーが山麓広場から本堂まで200円で運んでくれる。

凄いなぁ〜。

 

大変な混雑を覚悟の上で、紅葉の頃にまた来てみたい。

10:18 桃太郎神社へ。

 

桃太郎始め、サルもキジも、他のどれも子供の頃に見たものから変わっていない。それが堪らない。

木曽川の河川敷へ下りてみた。

この辺りの対岸に昼食を予定している五代目食堂がある筈。何処だろう?

10:31 成田山で交通安全のお祈り。

 

ここへ来たのは、小学校の遠足以来か?

本当の目的は、犬山城の絶景ポイント探し。

 

成田山の駐車場へ入ってみたものの良いポイントが見つけられず。

もう一度長い階段を上り大聖寺まで行く元気は無く、直ぐに諦め。

 

駐車場を出て西側のお寺が並ぶエリアで漸く発見。

犬山橋より。

 

ここからの方がイイ風景じゃん。

10:52 岐阜県各務原市の中山道鵜沼宿へ。

 

何と、道路の舗装工事で進入禁止!

 

因みに、「各務原」の正式読みは“かかみがはら”。JR駅名は“各務ケ原”(かがみがはら)。他にも、“かかみはら”と“かがみはら”の読みがあり、新聞記者など必携「記者ハンドブック」(共同通信社刊)の「紛らわしい地名」一覧に岐阜県で唯一掲載されているとか。そして、鍵の一つが中山道らしい。

グルッと回って、横道から進入。

 

中山道69次の52番目の宿場。立派な屋敷が並ぶ。

 

再生整備した町並みでも、往時の一端を偲ぶことができる。

脇本陣の横に駐車。

 

先ずは隣の二ノ宮神社へ。

中々立派。

ここに来た目当ては、社殿へ向って左下の大きな石の部分。

 

これは、二ノ宮神社が出来る前からここにあった古墳。

 

直径29mの円墳。西暦500600年代に造られたもの。

大きな石を積んで作られたこの穴は、横穴式石室の玄室。長さ6m、幅2.12.6m、高さ2.3m

 

本来は前に羨道があるが、取り外されている。

 

興味深い所。

脇本陣。デカイ!

 

入口のオッチャンが親切に「上がって下さい」と言ってくれたが、靴を脱ぐのが億劫でパス。

土間から中庭へ、歩いて見学。

 

松尾芭蕉がここに休泊し句を詠んだと伝えられている。

正に時代劇の世界。

 

頑張って復元されているが、余りにキレイなのが少々残念と思うのは私だけだろうか?

 

それにしても、無料開放しているだけでは勿体ない。

11:20 中山道沿いに日本ラインうぬまの森へ。

 

本日のクライマックス、中山道うとう峠のサインが見えた。

不揃いの石が敷き詰められ、石には苔、しかもまだ湿っており歩き辛い。

 

これは近年整備されたもの。往時の方が歩き易かったに違いない。

うとう峠の一里塚。直径10m、高さ2m。「江戸から数えて凡そ100番目」 ・・・ “凡そ”が笑っちゃうね。

 

この山道を1910里歩き、江戸まで約10日。とても真似できない。

 

一里塚は太田宿側にもあるが、戦時中に陸軍の兵舎が建てられ半分以上崩れているそうだ。

一里塚の少し先から下って行く。峠を越えた模様。

 

雨天歩行禁止やヘビ注意の看板もあり、ここでUターンし途中にサインのあった展望デッキを目指す。

0.6km”だったので安心して上って来たが、結構キツイ。

 

良く整備されており歩き易いのが救い。

おやおや?犬山城を見下ろす筈が、展望は逆の飛騨山脈方面。的が外れたが、それも良かった。

 

ここでベンチに腰を降ろし、オリンピックの速報をチェック。スノーボード ハーフパイプ決勝、平野歩夢の1回目が終った所。巻き返しを願う。

 

そそくさと下山し、フレーム左下外側の辺りの五代目食堂へ向った。

12:04 R21を高山方面へ進み、坂祝の五代目食堂へ到着。やってて良かった!

 

この店は地図を見ていて偶然発見。クリックして行くと、何じゃこりゃ!どんどん引き込まれてしまった。

 

この昭和感、最高!

目の前は旧R21。これまで何度も通った道だが、全く気付かなかった。この辺りは木曽川沿いに飲食店の廃墟が点々と並び、川の風景も良く、そちらに集中して脳が反応しなかったようだ。

店内も昭和の世界。

 

ぐっさん家など、写真や色紙が並ぶ。山口智充も相当テンションが上がったことだろう。

猫の姿も。

 

エルビーの冷蔵庫も昭和感満々。

オーダーは3つ。

@シロワタホルモン 700円、A白玉(うどん) 170円、Bごはん(中) 200

 

来た!もやしの下に自慢の特製味噌だれを纏ったホルモンあり。

 

ここで平野歩夢、逆転金メダルを知る。やった〜!

調理はセルフ。ホルモン・もやし・ご飯を暫く楽しみ、鉄板に余裕が出来たところで白玉を投入。

 

ホルモンは噛み応えあり量も多く、食べるのに時間が掛かる。おまけに、止めたつもりがガスコックを全開にしており「止めて下さい。焦げてますよ」と、オバちゃんに叱られた。鉄板、洗い難くなったかな?御免なさい。

 

美味かった〜。是非また来よう。次は牛のハラミ焼(横隔膜)かな。

老夫婦が営むこの店、どちらか倒れたら続けられないだろう。まだまだ元気に頑張って欲しい。

満腹になった所で、次はうとう峠の東口へ行ってみた。

 

場所は各務原と坂祝の境、日本ラインうぬまの森の展望デッキ真下だった。

 “中山道うとう峠へ「おりる」”のサインと階段あり。

 

ここも旧R21沿い。木曽川に流れ込む川を目標にして来たが、道路脇に「中山道」の小さなサインがあったので確認に行ったら当たりだった。気にしていなければ気付かないだろう。

何せ、サインの示す先は廃墟の駐車場なのだから。

「おりる」の先は、このトンネル。

 

コンクリートの壁に鉄の鎖が渡してあるが、雨天通行禁止。鉄砲水は怖い。

トンネルの先は江戸時代。

うとう峠が始まる。

橋を渡ると、、、

これぞ中山道!

 

山賊も出るわな〜。

13:15 再び成田山へ。

 

今度は日本モンキーパークの裏から行ってみた。

 

すると、大聖寺裏の最高地点まで行けるじゃないですか!

犬山城も良く見える。

 

成田山へ行くなら、このルートが一押し。きっと混んでいないだろうし。

最後に新生大仏を背に記念撮影して帰宅。

 

モンキーだからこその楽しいツーリングだったが、帰着間際に左のウインカーが点かないことに気付き、帰着後早速点検と思い左後方ウインカーを見たら、またもレンズ脱落していた。不灯の原因はランプ切れ。しかも、前後両方。それは仕方ないが、問題はレンズ。一つ気になっていた事があり右側のレンズを外してみたら、ビンゴ!レンズだけ買って付けていたが、正しくはレンズにパッキンを付ける必要があった。全開で調子良く走って来た尾張パークウェイでぶっ飛ばしたのかな?

 

2022.2.19(土) 魔の土曜日

天気予報は午後から雨。それが間違いないと確信する曇り空だが、最近の予報は信頼性が高いので一瞬の迷いも無く出発。

 

目的地は、@多度山展望台、A多度大社、B揖斐・長良川の背割堤、C六華苑、D七里の渡跡、E桑名城 天守跡、Fラーメン ちゃん 朝日本店、と多数。ガソリンも満タンでギリギリの長距離。

最後のトンテキとラーメンが特に楽しみだったのだが、、、

9:41 木曽川に架かる立田大橋を渡った。

 

目の前には、長良川大橋、木曽三川公園展望タワー、多度山が一直線に続く。第一目的地まで、あと僅か。

9:51 宇賀神社一の鳥居へ到着。

 

多度山上公園入口のサインに従い、急坂路の多度山ハイキングコースを進む。

 

坂もそうだが、道幅が狭いので要注意。

あれまあ、通行止め。

 

自動車の接触事故の多いことが理由。自転車は通行OKだったので、ゲートを開けて進んでみた。

 

看板に「猿にご注意下さい!」。そう、昔ここで出会ったことがあるんだな〜。

春近し。楽しみだ。

10:16 展望台へ到着。

 

ここに三角点あり。

濃尾平野の大パノラマ。

 

晴れていたら絶景間違いなし!

 

ちょっと惜しい。

揖斐川、長良川、木曽川、木曽三川の眺めは素晴らしい。

10:51 多度大社へ。

 

南北朝時代から行われている上げ馬神事、流鏑馬神事で有名。

この神事は、馬を奉納する行事が祭へ発展したと考えられている。

1617歳の青年騎手が、頭に花笠など華麗な武者姿で馬に乗り、2.5mの崖を一気に駆け上がる。

馬が上がった数や順番によって、その年の吉凶を占う。

 

歴史のある神事も、現代では動物虐待と三重県教育委員会から勧告を受けているとか。やるせない。

清々しい。

多度大社を後にし、通り掛かった木曽三川公園でZ1KAWASAKI 900 Super 4を発見。

 

オーナー不在で無断となったが、今日は逃さず並べて記念撮影。

 

旧車はイイなぁ。

揖斐川と長良川の間の背割堤を全開で快調に進んだ。

 

11:20 R1まで凡そ500mまで迫った所で渋滞。ここで大事件発生!

 

停車中の車の位置を見て、左右を行き来しながら余地をすり抜けて前進。何台か追い越しセンターライン側を走っている時に、左から車が迫って来た。あっ、と思った瞬間、フロントフェンダー部分に巻き込まれた。

不幸中の幸いは、路肩が草地で溝が掘ってあったこと。人車共に堀で止まった。

モンキーの損傷を確かめたいが、左足がタイヤに当たったらしく痛くて動けない。。。

 

警察の処理が終わり、100mほど離れた広い場所へ移動し話し合うことに。ここでやっとモンキーのチェック。

痛々しいが走れそう。エンジンもOK。しかし、走り出すと前輪が大きく振れる。フロント周りが捻じれている。そして、フロントブレーキレバーを握ったら、折れた!ガッカリ。

 

楽しみだったトンテキを食べに行く気が失せ、失意の中、トボトボ帰宅。あ〜、ちゃんと直るだろうか???

翌朝、痛い足を引き摺りながら改めて損傷確認。

 

後姿が痛ましい。

 

 

ホンダ専門店、旧車を扱うモータースで修理を打診。

 

あろうことか、どちらも「部品が出て来ない」との理由で断られた。

 

あ〜困った。大部分は早矢仕とヤフオクで揃いそうだが、タイヤの振れが、、、

【気になる損傷】

@燃料タンク 右側凹み・傷

Aタンク止めゴム 左側脱落

Bステアリングロックプレート曲り 左側

C右前ブレーキレバー折損

Dバックミラー変形

E右ハンドル変形

F左前ウインカー傷・ボデー変形

 

Gフロントフォーク周り変形

Hフロントタイヤ振れ

Iリヤフェンダー変形

Jテールランプベース変形

Kテールランプレンズ傷

Lブレーキランプ不灯

Mナンバープレート変形

落ち込んでばかりいても仕方ない。部品の調査方々、小牧へ。

 

先ず向った先は、おっちゃん、おばちゃんの2人で営む町中華の“大八”。

ここは、ビックリするほど安くて美味い!

 

 

写真は健在だった頃。あ〜。溜息が出る。

今日は、チャーハン+スープ餃子。これが 580円!

 

迷うメニューは、

チャーハン+ラーメンセット 600円。どちらも立派に一人前。しかも、ラーメンは醤油、味噌、塩から選べる。

ミニラーメンの付いた中華飯セット 700円。野菜たっぷり、優しい味の中華飯もいける。

 

やっぱり中華は日本が美味い!

 

2022.2.26(土) 修理開始

保険会社の確認が終り、修理OKとなった。修理を断られたことなどの状況も説明し、予想よりも高額提示された時価までは全額カバーしてくれることになりひと安心。

 

フロント周りの修理はできるだけバイク屋に頼みたい。他は自分で修理するやり方でも支払いOKとのことだったので、交換必須かつ早矢仕で手に入らない部品をオークションでGet

 

そして、走るために最低限必要な部品を調達するため、オッチャンが出勤している14:30を狙い、中華そばの“万楽”経由で早矢仕へ。

昨年暮れに行列を見てパスしてから漸く口に入れることが出来た。

 

良く言う“薬膳”の意味が分からないが、スープは相変わらず美味い。

自家製麺は好みよりも太かった。昔もそうだったっけ? 3玉の特大 770円は欲張り過ぎた。

この巨大どんぶりを見ると、高校生の頃通っていた小牧のラーメン屋を思い出すなぁ。

 

欲しい部品は全部揃った。しかし、ブレーキレバーがアルミ製。早速組付けたものの、やっぱりオリジナルのプラレバーが欲しくてオークションを漁ると、どれもこれも高い。そんな中にお買い得品を見つけた。Getできるか?

 

2022.2.27(日) Monkey から Little Cub 50

娘の友人伝いに修理してくれそうなバイク屋が見つかった。ちょっと変わった名前の“来世電動機”。

ライゼモータースと読む。

場所は名古屋市緑区浦里。引き取りも出来ると聞いたが、スピードを出さなければ自走できるので持ち込んだ。

 

修理の持ち込みだけでは惜しいので、ルート上の気になるポイントも散策。

最初に立ち寄った笠寺観音(笠覆寺)までは何年も通勤に使った勝手知ったる道。

しかし、久し振りだからかスピードが遅いからか、随分風景が違った。

 

旧東海道沿いの笠寺観音、初めて来た訳ではないが記憶が無い。

 

西門の脇に駐車し散策。

笠覆寺多宝塔と徳川家康人質交換記念碑。

 

多宝塔は、江戸時代初期1644-47年(正保年間)建立。銅板葺。塔の内部は四天柱と来迎壁があり宝冠阿弥陀如来を安置。

記念碑は、1549119日、織田に捕らわれの身となった竹千代と今川に捕らわれの身となっていた信長の兄・織田信広の人質交換がここで行われたもの。

 

由緒ある寺だったんだな〜。

仁王門と呼ばれる山門へ回ってみた。

実に立派な門。両脇には笠寺観音を守る阿吽の金剛力士像が鎮座し、

睨みを利かす。

本堂も立派!

 

本堂前に玉照姫・兼平公ご夫妻の堂がある。この夫妻の縁結びが笠覆寺の名前の由来。

笠寺観音の東300mほどに、ずっと前から気になっていた“見晴台遺跡”がある。

 

漸く訪問できた。

 

かつては海に面していた高台。弥生時代〜古墳時代集落跡。鎌倉〜室町時代は笠寺観音の寺地として、宗房か寺関係者の住居群があった。当時の生活を物語る土器・陶磁器・貝・骨など自然遺物が出土。

こんな生活だったのか。う〜寒い。

資料館に出土品の展示があり。

 玉の勾玉も出土。

金属も???

 

いやいや、太平洋戦争中に墜落したB29の残骸。

 

正に今、ロシアがウクライナへ侵攻中。北朝鮮がミサイルを発射するなど、他人事ではない。

旧東海道を東へ進むと、間も無く笠寺一里塚。

 

慶長9年(1604年)徳川幕府が主要街道を整備した際に築かれ、塚の上に木を植え道標とした。

この一里塚は名古屋市内に残存する唯一のもの。土を盛った上にエノキが大樹となって残り東海道を偲ぶ。

かつては一対の塚で、他の一基にはムクノキが植わり、道を隔てた南側に大正時代まで残っていたそうだ。

旧東海道を更に東へ進み、天白川を越えた最初の交差点を右折し住宅街へ入った。

ここで、Google Mapを開き目的地の位置を確認。

 

10:20 それでも少し迷ったが、無事に到着。一昔前なら相当迷ったことだろう。

 

要望は伝わっており、話は早い。具体的に説明し、見積りを出して貰うことになった。

丁寧な応対だったので安心して置いて帰ろうとしたら、代車まで出してくれると言われ感激。助かった〜。

ガレージには色々なバイクあり。ワクワクする。

 

貰った名刺を見ると、美容、建設、バイクのマルチ企業。ゲーム雑貨やアニメグッズを扱うライゼェーレショップも運営。ライゼとは、ドイツ語の“旅”。面白い。

 

代車は真っ白のLittle Cub 50。左手にレバーが無いので違和感あり。発進すると、ブレーキの利きが甘い。これは要注意。良く走るが、ギヤのポジションが今一つ掴めないことでも苦労した。

桜本町まで歩き、とんかつを食べて地下鉄で帰る計画だったが、足が出来たので変更。

ずっと前に見付け気になっていたものの、訪問の機会が無かった天白区島田の“ラーメン東大”へ行ってみることにした。

 

恐る恐る Little Cub を走らせ、開店の11:00ピッタリに到着。

入口に券売機。腰を落ち着けメニューを見てからオーダーしたい派としては第一印象は宜しくないが、ラーメンが来たら忘れてしまった。

徳島ラーメン、何年振りだろう?本場の老舗を思い出す。

 

ここは、生卵が無料で食べ放題。ご飯はお替り自由。すき焼き風にしたり、卵掛けご飯にしたり、最後はスープに投入して、ラーメン中の肉増しとご飯2杯を完食。1,110円と値が張ったが、滅多に食べられないのでね。

 

夜、電話を受けるまで気付かなかったが、来世さんしっかり仕事をしてくれ、帰宅前に見積が出ていた。嬉しい。

気になる点を返信。完成は部品の納期次第。さて、どうなることか。



 

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