トコトコ中国バスの旅 |
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▼My Collection −
Monkey − 訪問地 −
美食
【旅日記】
2023.3.4(土)
吃驚3連発!肝心の梅園には少々ガッカリ |
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三寒四温も周期が変わり、随分過ごし易くなってきた。 近所の梅が満開になったのを見て、春日井市都市緑化植物園の梅園へ行ってみることにした。 併せて、下街道の後半部分の調査と今度こそ内津峠の道標発見を目指した。 |
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9:01 緑化植物園へ到着。 交通の便が悪い山の中だが、それ故にか散歩の老人が少なくない。 |
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梅園は池の右上。 |
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池にはボートがある。30分200円。 現在は冬季休業中だが、春分の日の3/21に再開とのこと。 |
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良い感じの木製デッキを気分良く進んだのだが、、、 |
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入れなかった! 梅の花を目前にして、振出しに戻る。 |
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咲いていた。 しかし、思ったより少ない。 |
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市の施設案内には『早春になるとウグイスとともに梅の花が咲き乱れます。』とある。 言い過ぎなのか、時期が悪かったのか? |
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下街道、旧R19を内津峠方面に進んだ。 9:28 見性寺へ到着。 スポーツウエアーの禿親父が階段を下りて来た。檀家かと思ったら、暫くして戻って来て声を掛けられた。 ヘルメットを被ったままウロウロしていたので不審者と映ったか? どうやら、親父さんはここの坊主だったようだ。 |
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天文2年(1533年)創建。 一時荒廃し、安永6年(1777年)、名古屋大須万松寺の19世綱國玄提和尚が再興。 市指定文化財の大般若経600巻を所蔵。 名古屋の俳人、横井也有と親交があり、也有筆の句碑もある。 |
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鐘撞堂の奥に首! |
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恐ろしい。 |
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9:32 鵜飼邸 「舎」(やまきち)へ到着。 舎と言う屋号の商家。大正の初め頃まで金勢丸(腹薬)、正生丸(解熱剤)の製造販売や味噌、たまりの醸造で栄えた。 銅板の唐破風屋根と龍の彫物のある看板が2枚残されている。 |
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これは素晴らしい! |
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9:39 内津峠へ到着。 奥は旧R19、下は現在のR19多治見方面行きトンネル入り口。 つまり、ここはトンネルの上。 |
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道標はどこ? 旧R19と県道123号、市之倉内津線の交差点の南東角に在る筈なんだが、、、 おや?電柱の足元に丸い石があるぞ。まさかとは思うが、、、 |
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これや! 1m以上の大きな石を想像して探していた。それがこのサイズとは、、、前回は恐らく雪に埋まっていのだろう。 「右廿原 左江戸 善光寺道」、善光寺道と呼ばれた下街道の貴重な道標。余りの小ささに吃驚! 何はともあれ、下街道春日井の旅のゴールに到着して良かった。 |
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9:49 安祥寺へ到着。 曹洞宗大須万松寺の末寺。宝暦5年(1755年)にこの地へ移された。 ガッチリした岩盤の上に建つ。 |
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この辺りの地名は「西尾町字駒返」。 駒返とは、『険しい山道で、それ以上馬に乗って進めない所。馬返し。』。正にそんな所。 日本武尊が東征の帰途、建稲種命をまつった内津を振り返った時についた馬の蹄跡がある筈。どこ? 蹄跡が付いた時、馬の尾が西を向いたので西尾の地名が生まれたとの伝説。壮大だな〜。 |
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境内には妙見堂、観音堂が建ち、御嶽山大権現、佐倉宗吾郎碑、二十二夜石がある。 明治期に集められた西尾地区の石仏が参道に祀られている。 |
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安祥寺の南に最近流行の壺焼き芋屋。 朝早いが、既に良い匂いが漂っている。今度食べてみよう。 |
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一旦帰宅し、クルマに乗り換え。 先週、とうとうバッテリーが上がってしまい充電。扁平したタイヤに空気も入れ復活。 これからは適度に乗ろう。19万km超の28年選手だが調子良いのだから。 向った先は「まぐろの家 心」。毎週は憚られるが、止められない。 今日のチョイスは焼魚と刺身定食950円。デカイ皿からはみ出すこのマグロのカマのデカさ。堪らない。 次回は、今日最初に売り切れた1,200円の本マグロカマ塩焼定食にしよう。 |
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行きがけに名古屋空港南の歩道橋に大勢人がいて気になっていた。 イベント?有名人?まさか開発中止のMRJ?等々想像したが、優先すべきは昼食で通過。 |
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その人々、帰りもまだいたので仲間入り。 すると、いきなり大型機の編隊が飛んで来た。 初めて見る光景で吃驚! |
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自衛隊の展示飛行であることは分かったが、観客の目当てがこの大型機とは思えない。 帰宅した際にスマホを置いて来たことが悔やまれる。 |
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あの大きな飛行機が低空で急旋回する姿を見て吃驚! 同時に、自分の乗った飛行機がこれほど傾いたらと考え、想像しただけで頭が痛くなった。 |
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単独で飛行する姿は良く見掛ける。 複数機が続けて離着陸する姿も見掛けるが、編隊になると迫力が違う。 |
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近い! 中部セントレアが出来てからと言うもの、近くて便利なこの空港を使ったことが無い。南空の着陸は景色が良かったことを思い出す。 |
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圧巻! 滑走路方向へ飛んで行くが、当然編隊では着陸できないので滑走路を越えた辺りで左右に分かれて旋回。 |
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迷彩色のこの飛行機は中々格好良かった。 12:50 「道路は駐車場ではありません。直ぐに移動させて下さい」と、春日井警察のパトカーがやって来た。 |
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それを機に帰宅。しかし、凄いモノを見逃さないか空が気になる。 その後、空には機影が見えなくなった。どうやら終了したらしい。 調べてみると、航空自衛隊 小牧基地のオープンベースが明日だった。どうやらそのリハサールだったようだ。 ブルーインパルスの展示飛行もある。11:20-11:50、飯を食べている間に飛んだのか?明日は見逃すまい。 |
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2023.3.5(日)
物凄い数の観客に仰天。そこに分け入り、待った甲斐あり |
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8:30 徒歩で自宅を出発。100mほど歩いた所で、薄汚れたマスクしか手持ちがないのに気付き取りに帰った。 8:58 自衛隊小牧基地へ到着。 |
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体温と持ち物検査を受け入場。 基地に入ったのは、20数年振り。 常設展示は変わっていないんじゃなかいか? |
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いる、いるブルーインパルス。 観戦エリアの前方にはグランドシートを敷いて陣取る輩が二重三重となり邪魔くさい。 彼らは8:30開門ダッシュだったのだろう。 |
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なるほど、昨日のリハーサル機は、観客の頭上で旋回していたのか。 C-130輸送機。愛称はハーキュリーズ(Hercules)。ギリシア神話に登場する英雄、ヘラクレスの英語読み。 |
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迫力満点。 残念なのは雲が多い空。 カメラのモニターで機影を探し出すのに苦労した。 |
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2機編隊はKC-767 空中給油・輸送機。 開発母機がボーイング767なのでデカイ! 他にF-2 戦闘機の展示飛行もあった。 |
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近くで色々見ることが出来て面白い。 |
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いつまでも平和な空が続き、彼らの任務が展示飛行であるよう願う。 |
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F-15 制空戦闘機。 お〜、イーグルじゃ、格好ええのぉ。 こんなに観客が多いのは、トップガン マーべリックの影響もあるのかも。 |
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名古屋市消防局の救助ヘリコプター。 スイッチが多い。 私にはとても操作出来そうにない。 |
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C-130の内部を見学。 手術室の様な機動衛星ユニットを搭載。 過去に1才男児を救助sしているが、どんな経緯で出動するのだろう? |
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まるでクジラだなぁ。 U-125 救難捜索機とUH-60J 救難ヘリコプターによる救助のデモンストレーションが始まった。 |
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UH-60Jからロープが投げられたと思ったら、隊員が滑り降りて来たて、手際良く救助を行い、ヘリに戻って行った。 その間、U-125を上空を旋回しながら確認している様だった。 |
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KC-767も解放されていたが、100分待ちだったので見学はパス。 格納庫が解放されていたので見学。デカイ! 密かにJALが記念写真のイベント。 |
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さすが飛行機。エンジンが物凄くデカイ。 そしてツールBoxも見たことの無いサイズに吃驚。 |
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B777-300ER「政府専用機」。主に内閣総理大臣などの要人輸送の際に運用されるほか、必要に応じて緊急時の在外邦人などの輸送に使用される。さすがにデカイ。 第二輸送航空隊所属のC-2輸送機。 |
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10:23 一通り見て回ったが、ブルーインパルスの展示飛行まで1時間もある。 が、準備で動きもあるだろうから止って観察。 |
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管制塔の下に38席限定の有料観覧席がある。 ゆっくり高みの見物ができるので5,000円の価値はあるか? 10:36 パイロット現る。 |
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この辺りから実況放送が始まり、コックピットの動きが分かって良かった。 11:13 ハッチが閉まり、動き始めた。 ここぞとばかりに手が上がり、視界が悪くなった。 |
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ブルーインパルスとは、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊、アクロバット飛行チームの愛称。 正式部隊名は第4航空団飛行群第11飛行隊。広報活動を主任務とし、展示飛行を専門に行う。本拠地は松島基地。 |
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離陸前のスモーク噴射確認が始まった。 そして、アッと言う間に離陸。助走する姿は一機も捉えられず。 |
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世界の曲技飛行隊の中でも、スモークを使って空中に描画する、いわゆる「描きもの」を得意とするチーム。 カラーなら、なお良かった。 |
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色々な陣形を見せてくれた。 小さくて速いので捉えるのがとても難しかった。今日ぐらいはカメラを替えて来れば良かった。 |
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大輪の“さくら”が大空に咲いた。 集団かの前に人。あれが38席限定の有料観覧席エリアか? 羨ましいが、5,000円の価値は感じられない。 |
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12:01 無事に帰還。 いや〜素晴らしかった。 11月の県政150周年記念の展示飛行は一瞬だったたが、今日はタップリ楽しめて良かった。 |
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オープンベースは13:30までだったが、ブルーインパルスの展示飛行が終ると一斉に帰宅が始まり、正門の直前が大混雑。空も陸も事故が起きなくて良かった。 テナントを覗く余裕の無かった事が唯一心残り。 |
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2023.3.11(土)
「日輪の遺産」で、マッカーサーの財宝を隠した陸軍火工廠と重なる |
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今週は一気に気温が上がり、20℃を超えた。こうなると、遠出の気分になる。 寒からず暑からずで、Monkeyのエンジンも絶好調! 温めていた久々利城跡を中心とする岐阜県可児市の旅を決行することにした。 |
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9:30 Google Mapで何度か位置を確認し、可児市の三菱発動機久々利地下工場2跡地前に到着。 どうやらこの先の模様。 こんなに民家に近い所とは意外。 |
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おっ、あった。コンクリート壁で入口が塞がれており、中には入れない。恐ろしくて入りたいとも思わないが。 爆弾や軍用機の部品を作っていたらしい。応時は内部が碁盤の目の様になっていたそうだが、今は崩れている。 戦後は地域の子供達の遊び場になっていた。 最近読んだ浅田次郎の『日輪の遺産』で、マッカーサーの財宝を隠した陸軍火工廠と重なる。 |
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階段を上ると、長閑な田園風景が見渡せる。 |
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9:40泳宮(くくりのみや)公園へ到着。 『日本書紀』の「景行天皇(第12代天皇)四年春二月甲子條」によると、景行天皇が美濃に行幸して滞在した際、八坂入彦命の娘で美人の弟姫(おとひめ)を見初め、池を造り、鯉を放って弟姫を呼び寄せた。 弟姫は、自分より美しく気立ての良い姉の八坂入媛(やさかいりひめ)が相応しいと、姉に后の座を譲った。 八坂入媛を后にし、七男と六女を産み、第1が稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと:第13代天皇)と言う。 冒頭の池を造り弟姫と出会った場所がココ。 |
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泳宮の史跡は古くから言い伝えられてきたようであるが、国学に明るかった久々利千村氏の九代千村仲雄が、文政二年(1819年)に『美濃国泳宮考』を著して以降、広く知られるようになった。 その後、千村氏の家臣の櫛田道古が、明治二年(1869年)に『美濃国泳宮略記』を著している。 史実か否か分からないが、万葉集の歌碑等が建立されており、古代のロマンスの故地とし、久々利の人々は「お姫様」と呼び親しんでいる。 中国南部や台湾が原産のフウの木が大きく枝を広げる。享保年間(1716-36年)に植樹されたもの。 |
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一角には大きな表忠碑と英霊碑がある。 |
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9:50 可児郷土歴史館へ到着。 可児市の自然・歴史・民俗など幅広い分野の資料を収蔵した総合博物館。展示資料は「化石」「考古」「古陶器」「宗教美術」の分野がある。常設展として「可児の地質時代から現代まで」をテーマに公開。 慶長年間から明治までおよそ260年間この地にあった千村氏(木曽氏庶流)の屋敷である千村陣屋に建設されており、当時の土塁や石垣跡が残る。 |
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愛車は歴史館の玄関前に停めたまま、県道84号線、安土桃山街道を渡り、久々利城跡へ向う。 |
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県道からいきなり登城とは、これまた予想外。 |
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守護土岐氏の一族である土岐久々利氏が南北朝時代から戦国朝時代にかけて周辺地域を支配。 初代康貞から代々土岐三河守・悪五郎を襲名。 土岐悪五郎は、天文17年(1548年)に烏峰城(後の美濃金山城)主・斎藤妙春を討ち中・東濃地域を支配。 しかし、天正11年(1583年)、美濃金山城主・森長可(森蘭丸の兄)に討たれ久々利城は落城。 美濃金山城までは直線距離で、たった6km。これが戦国時代。 東側の城郭と西側の居館に分かれた城跡。 |
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山城感満々。 勾配がキツイ。 |
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土塁で囲まれた桝形虎口が現れた。 先ずここで遣られる。 |
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この急勾配の切岸を登って三の丸へ攻め込むのは困難だろう。 切岸の下を回り込むと、 |
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横からも前からも遣られる。 |
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三の丸に辿り着いても、本丸はおろか二の丸も遠い。 しかも、この先は通路の幅が極端に狭い。 |
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やっと本丸が見えた。 |
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中々広い。 |
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本丸からは、二の丸、三の丸、そして城下が見渡せる。 |
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さあ、次は眼下に見える安土桃山街道を東へ向おう。 この道、信号が少なく風景もまずまずだが、交通量が多く神経を使った。 |
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10:17 小渕ダムによって出来た小渕ため池に到着。 小渕ダムは、昭和26年(1951年)に日本で最初に完成した岩石や土砂を積み上げたロックフィルダム。 着工1946年、提高18.4m。久々利川の氾濫を防ぎ農地を守る目的の洪水調整ダム。 |
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ため池の中央を東海環状自動車道が走る。 水量が少なく、大勢の太公望が岸で竿を垂れていた。釣れるのか? |
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10:22 荒川豊蔵資料館入口へ到着。 この先は車両進入禁止のため、ここに駐車し歩いて向かった。 |
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早速森林浴。 |
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荒川豊蔵は、志野、瀬戸黒の2つの工芸技術で国の重要無形文化財保持者、通称「人間国宝」に認定された。 牟田洞古窯跡において志野筍絵の陶片を発見したことが契機となって志野の再現を志し、この地に移住した。 |
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結構な谷間に、陶房、資料館、居宅等が点在。 資料館以外は無料公開。 資料館には、豊蔵の自作・自筆による作品の他、氏が収集した古陶磁器、工芸品、古書画、出土陶片等を収蔵。 |
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戦後、住居から陶房機能を切り離した後に、新たに構えた陶房。 当初は轆轤場と室(モロ)のみだったが、昭和40年代に西側の高床式書斎部分を増築し現在の姿となった。 陶房内には、機械類は存在せず、昔ながらの手作業での制作工程であった様子が垣間見える。 豊蔵が使用していた道具や土、釉薬などを設え、仕事場の臨場感を演出している。 |
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一番奥の居宅は、元々別の場所にあった古民家を入手し、住居兼陶房として昭和7年暮れに移築したもの。 しっかり見て回ると、結構良い運動になる。 |
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昼食は、寿がきやのラーメン。何故か無性に食べたくなった。 実しやかに「蛇のスープ」と言われていた白いスーブ。懐かしい。 ベーススープは、「和風とんこつ」味。”豚がら”から抽出した豚骨スープと、昆布や魚介からとった”だし”の合わせ。 基本的には創業当時から変わらぬ味を提供。 |
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オーダーはラーメン大盛360+100円。高くなったな〜。と言っても、世間ではダントツに安いが。 寿がきやの創業は、終戦直後の昭和21年(1946年)。当時はラーメン1杯30円。 それは比較にならないが、高校生の頃は1杯120円。とうとう3倍になったか。 味は昔のまま。担々麺はじめメニューは増えているが、やっぱりノーマルが良い。 |
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2023.3.28(火)
春うらら。満腹で満開の桜を眺め満足して帰宅したが、その後大変な事態に |
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大腸の内視鏡検査のため、早朝から忙しかった。 検査は順調に進み、結果は異状なし。「次は3年か5年後で良いでしょう」となった。 思ったよりも随分早く終わったので、先週土曜日に出発したものの雨で引き返して不発に終わった山崎川へ向った。 |
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11:55 千種区のカレー幸へ到着。山崎川はおまけで、実はここが主目的地。 Google Map で偶然発見。先ずは、廃墟としか思えない店の佇まいに引き込まれた。 調べてみると、結構な人気。しかも、安くてサラダまで付く。俄然興味が湧いた。 場所は名電高校の直ぐ南。卒業生の日本ハム・工藤元監督やイチローも世話になったのだとか。 |
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昼前にも関わらず、サラリーマンが列を作っていた。 10分ほど待ち入店。 店内も昭和の世界。こんな街の中に。面白い。 手書きのメニューはいつ書かれたものか?しみだらけで変色。これも面白い。 |
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オーダーは、カツカレー ダブル盛々720円。腹が空っぽだったので、つい一番ヘビーなヤツを頼んだ。 お〜、デカイ!食べ進みカレーが少なくなると、おばちゃんが無言で出を差し出して来た。 きっと、カレー追加してくれるのだろうと思い差し出すと、思った通り。何と素晴らしい!コップを渡さなくて良かった。 味は辛さ控え目の万人向け少々物足りなかった。次は、常連さんが食べていたハヤシライスにチャレンジしたい。 味で言うと、ほど近い覚王山にあったデリーのイタリアンカレーが最高だった。考えただけで汗が出て来る。 |
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カレー幸の斜め向かいにも行列。 看板に「でか盛り弁当!!」これは気になる。 店名は「かま濃」。毎月第1・第3水曜は・・・からあげ弁当300円。始め、種類も豊富。 近所にあって欲しい。 |
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12:40 檀渓橋から山崎川沿いに南下。 山崎川の桜は久し振り。 両岸とも車両進入禁止のためエンジンを切り、押して前進。 |
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石川橋から鼎橋は車両OK。 爆音を立てないように、そろりそろりと前進。 |
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3/28から4/2までライトアップされるそうだが、すでに満開。少々予想が外れたか? 何せ、3月に20℃を超えたのが11日で観測史上最多と言うから仕方ない。 |
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川がイマイチなので夜の景色の方が良いだろう。 名古屋市立大学薬用植物園西の木製の鼎小橋でUターン。 |
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満足して帰宅し、一息ついた頃から急激に胃が痛くなった。 空腹へ大量のカレーを一気に流し込んだことが原因かと思ったが、検査結果説明の時に貰った紙をみたら、「基本的には飲食可能ですが、お腹が張っている間は食事をやめてください」と注記があった。 張りは、腸内に空気が残っていると起こる。そう言えば、やたら腹が出ており来月の健康診断が思いやられたが、これが張りだった模様。 問題無く、安心してガツガツ食べたことが原因だった。 次回は随分先になる筈だが、この苦しかった経験は学習しなければ。 |