トコトコ中国バスの旅

 

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Update : 2025.3.29

 

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My Collection Monkey 訪問地 美食

 

【旅日記】

 

2025.1.25(土) モンキー復活!絶好調!

年末のトラブルにより、ほぼ1ヶ月振りになった。

この間に、行ってみようと思っていた名古屋市西区の「餃子専門店 天一」が閉店。あ〜、悔しい!

モンキーはタペット調整などで復活。

針が回りっ放しで真っ黒になったメーターは、バイク屋の兄ちゃんが手持ちをタダでくれた。有り難い。

ネットでクッションを買い、一緒に交換。30km/hまではバッチリ動作。ところが、その後一気に跳ね上がる。

まぁ、良い。我慢できなくなったら、120km/hスケールの新品に交換しよう。

と言う事で、試乗も兼ねて名古屋市北区の別小江神社へ行ってみた。

10:58別小江神社へ到着。

平安時代の官社に指定された全国の神社一覧「延喜式神名帳」に記録が残る式内宮で、織田・豊臣・徳川の崇敬も厚かった。

安産、小児の守護神と寿命の神様。

元々約300m東北の千本杉にあったが、天正12年(1584年)織田信雄の命により今の地に遷座された。

三葉松や龍神松など「繁栄」を象徴する松が時制することから、「事業繁栄」や「一族繁栄」の御利益があると言われている。

御朱印は毎月デザインが変わるそうだ。

11:19 羊神社へ到着。社名は上野国多胡郡を支配していた多胡羊太夫が奈良の都に参上する際に立ち寄る屋敷があったことにちなむ。

支那事変記念とどんな関係があるのか?

11:33 守山区のベトコンラーメン新京へ到着。R19沿いで、以前、通勤時に毎日見ていたが、初訪問。

 

開店直後にも関わらず、店内は結構な人。しかし、全員サーブ待ち。

 

暫くしたら、唐揚げが出来上がり始めた。ご飯と共にサーブが始まった。

 

オーダーは、ほぼ100% 唐揚げがセットになったベトコンランチだった模様。

御多分に漏れず、私もベトコンランチ。ベトコンラーメンに大きな唐揚げが2つ、ご飯は大・中・小と選べる。

もちろん大を選択。これで950円は安い。

 

私の順番になっても唐揚げ先行。ラーメンの出来上がりには時間が掛かりそうなので、熱いうちに食べ始めた。

 

この唐揚げ、柔らかくて美味い!ご飯は米のランクが低い様だったが、限度内。

そして、ベトコンラーメン。大蒜ゴロゴロ。

 

スープはあっさり。良い感じの細麺。硬さも良かったが、もうちょい味があると良かった。

 

ラーメンは本家小牧の方がパンチがあり好みだが、ベトコンが食べたくなったらコスパの良いこっちを選びそう。

 

モンキーは絶好調!さあ、次はどこへ行こうか。

 

2025.2.1(土) 名古屋城へ石垣の石を運ぶために

3年間通った小牧に、こんな所があったのかと驚いた石橋へ行ってみた。

 

寒い一日だったが、モンキーはキック一発でエンジン始動。気分が良い。

 

しかし、ガソリンの値上がりにガッカリ。今日は、レギュラーが172/ℓ。ハイオクは184/ℓ。

 

益々クルマに乗る気が失せる。

11:07 Book-offを経由して小牧市の年貢橋へ到着。岩崎山南東の本田公園北側に位置。

 

慶長年間の名古屋城築城の際、岩崎山から切り出した石が石垣に用いられた。1610年頃か?

その石を運ぶため、加藤清正の命令で架けられたと伝わる。別名「清正橋」。

 

元は150mほど南にあったが、平成18年(2006年)に移設復元された。

偶に自転車で通っていた道だが知らなかったな〜。

さすが、見るからに頑丈。清正石もこの橋を渡ったのかも。

 

それにしても、檻の中ってのは残念。

年貢橋から木津用水を400mほど南へ下ると、旧R41、名古屋城東御門へ繋がる上街道に交わる。

 

そこに架かる筋違橋の北西に立派な料亭と見事な藤棚があった。

 

藤のシーズン、ここを通るのが楽しみだった。それが、こんな風景になってしまいガッカリ。

料亭の名は「清流亭」。

元々は江戸時代に、平手柳左ヱ門によって始められた休憩所で、外郎(ういろう)を売っていたと伝わる。

その後持ち主が変わり、明治時代頃までは舟着場としても利用されていた。

 

個人では維持できなくなり、解体されると聞いた時はショックだった。

 

藤は、昭和36年(1961年)に愛知県の天然記念物に指定され、現在も保存されている。でも少ない。

11:24 田中砦跡へ到着。2006年に廃線となった桃花台線の高架の下。

 

天正12年(1584年)、小牧・長久手の合戦の時の羽柴秀吉方の砦跡。

 

堀長政、蒲生氏郷、加藤光泰らの将が守備。兵力は不明。

 

砦の規模は東西十六間、南北三十間。一間≒1.82mなので、29.2×54.6m

この砦は、三ッ山古墳群に設けられた。

 

一辺20m、高さ4m前後の方墳三基からなり、墳頂部に竪穴式の埋葬主体と銅鏡などの副葬品をもつ。

4世紀末から5世紀初頭の前期古墳群。

埋葬主体は、いずれも割竹形木棺の直葬で、1号墳には1基、2号墳には2基の埋葬が認められた。

 

そうか、太古からこの地で人の営みがあったか。

11:35 天ぷらの「なが田」へ到着。

 

一週間、待ち遠しかった。

 

混雑を心配したが、先客は1人だけだった。土曜日はこんなものなのか。

 

それでも、10分の間に3組来店があった。開店直後に行くに越したことはない。

オーダーは、ランチの天丼 1,050円。そしてご飯大盛 50円。この価格で、ご飯は倍になるから凄い!

 

カウンター越しに、オッチャンが天ぷらを揚げる姿を眺めながら出来上がりを待つ。

 

海老2本、玉ねぎのかき揚げ、茄子、カボチャ、オクラ、美味かった〜。味噌汁も。ボリュームもバッチリ。

 

次回は、もう一つのランチメニューの天ぷら定食 1,100円を食べてみよう。こちらは海老が3本になる。

 

2025.2.15(土) 1300年の歴史ある寺。重厚な檜皮葺屋根が実に美しい

今日は暖かくて良い。北名古屋市の醫王山高田寺と旧加藤家住宅へ向った。

 

先週予定していたが、雪や便秘で出掛けられずウズウズの一週間だった。

10:15醫王山高田寺へ到着。

 

良く通る県道62号、春日井稲沢線から少し南へ入った所だが、存在を全く知らなかった。

 

途中、旧41沿いの中古車屋の前で、ツナギ姿のオッチャンが親指を立てグッドサインを送って来た。

この店、ガレージにZ50M(?)がある。チョイチョイ通るので、向こうも知っており気になっていた様だ。

今度会いにいってみよう。

今から1300年程前の養老4年(720年)に行基が開創したと伝わる。

 

国宝(現在は国の重要文化財)として認められた本堂は、「尾張一の美建築」と表現された。

 

重厚な檜皮葺屋根が実に美しい。

本尊は、国の重要文化財(旧国宝)に指定され50年に一度御開帳される薬師如来坐像。

 

インド風密教尊像をもとにしたとされる薬師如来坐像は、「見る人の心によって変わる」と言われている。

 

江戸前期の仏師・円空は、この仏像に感銘を受け生涯に十二万体の仏像を彫ることを誓ったと言われている。

歴史のある寺であり、他にも様々な寺宝が遺されている。

 

繊細な細工までそのままに遺る12体の「木像十二神将立像」、

愛知県の文化財第一号になった室町時代の「大黒天立像」、4体の円空仏など。

 

平安時代の書家・小野道風との縁も深く、道風が奉納した「醫王山」の額も遺されています。

10:40 旧加藤家住宅へ到着。

 

駐車場にロープが張ってある。嫌な予感。

 

加藤家は、この地方では知られた素封家。

 

「大加藤」と称される地主として栄え、江戸時代末から明治の中頃まで酒蔵業も営んでいた。

主家を中心に、長屋門、離れ、茶室、土蔵、高塀などで構成されており、敷地約370坪とデカイ!

 

明治期地主層の典型をなす洗練された形式が、よく維持されている。

 

文化的、歴史的価値が高いことが評価され、国の登録有形文化財として登録を受けている。 

うわっ、やっぱり。実に立派な門が、ガッチリ閉まっている。

 

調べてみたら、開館は月〜金。何てこった。

 

中が気になる。改めて来てみよう。

11:30 コーチン料理の「味もり」へ到着。ここへ来るのが待ち遠しかった。

 

まだ「準備中」。開店を待つ。

 

予想通り、昼ランチ100up。しかし、ガラスに貼ってあるのは旧価格。ちょっと迷う。

 

間も無く営業開始。入店すると、テーブルに宴会の準備が整っていた。これで、遅れた模様。

3種類のランチの中から、Aの刺身丼+コーチンラーメンをチョイス。

更にラーメンは選択肢が4つ。五目をチョイス。

 

刺身は大好きなカツオのたたき。麺は平打ちのモチモチ。スープも抜群!煮卵の小皿も美味い!

これで800円は超お買い得!+100円でご飯を大盛にし、煮卵を掛ければ完璧だった。

 

宴会は予想通り法事の昼食会。これも美味そうだった。

 

2025.3.1(土)-2(日) 小牧市市制70周年記念でブルーインパルスが飛んだ

はや3月。時の流れは早い。明日は自衛隊小牧基地のオープンベース。

 

今年は小牧市市制70周年記念でブルーインパルスが飛ぶ。さて、どこで見るか?

 

2月の後半は大寒波の襲来で雪が降ったりして寒かったが、一転して初夏の陽気。しかも、雲一つ無い快晴。

 

高台から見てみよう。と、岐阜県各務原市へ向った。

先日バイク屋で貰ったメーターが5,000kmになった。

 

針振れも少なくなって来た。気分が良い。

10:30 日乃出不動尊へ到着。

 

美濃三不動のひとつ。

 

古来よりこの付近山谷一帯は、清浄な霊地。諸国行脚の法師が厨子を背負って泊まった。

 

「我を大安寺の山奥に一宇を建立して安置せよ」とのお告げがあり、不動尊を奉じたのが始まりと伝わる。

今日の目的はこれ。

 

鳥居奥の中腹に見えた。

 

受験生・就活者の合格祈願が有名で全国から参拝者が訪れているそうだ。

鳥居を潜ると行者が待ち構えていた。

 

その奥に見える円盤は、、、

御縁が有ります様に。

 

修行用の滝もあったが、雨樋の様な所から落ちてくる姿に霊験が感じられず。

「落ちない岩」があった。

 

なるほど、しっかり座っている。

足の悪そうな老人が急な階段を登って来ていた所を見ると、信仰は篤いか?

落ちない岩の背後に山伏装束の烏天狗。

 

剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたそうだが、ここでは誰。宮本武蔵?

烏天狗が見ている風景。

 

ここではブルーインパルスの展示飛行は見えそうにない。

所々に派手な色彩の不動明王が立つ。

大正3年(1914年)、山頂に奥之院が設置された。自然の岩を神体とし、御嶽大神が祀られている。

 

傾いた小さな社。大丈夫か。

結構高い。

各務原パークウェイを挟んで反対側には観世音菩薩が立つ。

子宝の神様も。

 

「生卵を台座に載せて祈願し食せば蛇神様の御利益で温厚篤実な子供を授かる」そうだ。

11:10 伊木山の森の名勝木曽川展望台へ到着。

 

ここなら展示飛行が見えるのではないかと思いチェックに来たが、小牧方面は山影になりアウト!

11:20 寿らーめん 各務原店へ到着。開店待ちの客が店内を物色。気持ちは分かるが、、、

 

現存する寿ラーメンは、ことぶき飯店佳子とココの2店。佳子は店名を変えているので、ココが唯一か。

 

その各務原店、R21沿いにあったが昨年夏に突然閉店。

 

残念に思っていたが場所を変えて、いつの間にかオープンしていた。嬉しい。

11:30 営業開始。カウンター11席、3人掛けテーブル1つ。即満席になり、待ちも。

 

オーダーはチャーハンセット1,000円。この一カ月ほどの間に100up。この物価高騰では仕方ない。

 

先ずは、寿らーめんが登場。鶏ガラ・アゴ・煮干しのスープが麺へ良く絡んで美味い!

アゴ・煮干しが強烈に効いている。体質によってはNGかも。

デカイ!一般的なチャーハンの2倍はありそう。

 

レンゲをザクザク入れても中々攻略できない。美味いし、しつこくないので食べ進めるのが幸い。

 

結果は、どちらも完食。腹8分目を優に超え、満腹に近い。

 

高校生の頃に小牧店で良く食べたジャンボラーメンも気になるが、麺3玉、唐揚げ3個はきっと食べ切れない。

12:27伊木山の森から西へ3.5kmの八熊山頂上にある前渡不動尊 仏眼院へ到着。

 

良し悪し分からないが、舗装道路があったので山を駆け上がった。

 

途中、何ヵ所も急坂路がありローギアでもギリギリだった。

 

ここからは、小牧山はもちろん、名駅や東山スカイタワーも見渡せる。しかし、大きなC1すら機影が小さい。

ギャラリー無くゆっくり見れるが、いかんせん遠い。

 

展示飛行開始まで1時間半あるので、小牧まで戻る事にした。

 

岐阜基地のオープンベースなら絶好のポイントに違いない。何せ1kmの距離。しかし、その時は混むかもね。

 

承久の乱合戦供養塔があるとのことでここを知った。さてその場所はどこ?

名が体を表す如く、眼病治癒にご利益があると言われている。

前渡の旗本坪内家の家臣・山本軍八郎藤原盛行の一子・秀之助が盲目となり成田不動に眼病治癒を祈願し開眼したと伝わる。その報恩のために成田不動に於いて得度を受け、僧名を明心と改名。

 

明治23年(1890年)、標高87mの矢熊山の山頂付近に二間四面の仮堂を建てた。

翌年、京都市醍醐山の建仁3年(1203年)土御門天皇創建による豊臣秀吉の祈願所・仏眼院を移転、安置。

本堂は明治33年(1900年)再建、明治43年(1910年)鐘楼堂、昭和3年(1928年)、弘法堂を建立。

供養塔は山の中腹にあった。

 

承久3年(1221年)66日、朝廷側と鎌倉幕府側は、まめどで戦った。

この地は、木曽川中でも特に浅く水量の多い夏場でも渡りやすい場所であったことで選ばれたと伝わる。

幕府軍 総大将 北条泰時や三浦義村と朝廷側 総大将 藤原秀康や三浦胤吉などが睨みあった激戦地。

昭和7年(1932年)の県道工事の際に出土。天台宗西宮寺に祀られていた塔が木曽川の洪水で流されと推定。13世紀前半に起きた承久の乱の戦死者を弔うため1517世紀に村人たちが作ったと考えられている。

13:26 小牧山南のUNY屋上駐車場へ到着。

 

皆考えることは同じで、フェンス際に観客が多数。

 

小牧山城からの景色をイメージして下見無しで来たので仕方ないが、鉄塔と電線が邪魔だった。

 

好き者だろうか?LIVE中継をしており、近くの人がそれを見ていた。そのお零れに預かり、カメラを準備。

14:10 1番機離陸。

 

動きは分かるが、とても小さい。

捕捉が難しい。

 

先ず目視で探し、見つけたらカメラを向け、モニターに捕捉したらズームイン。

そうこうするうちにモニター外へ、、、

青空部分でのスモークはクッキリ見えて素晴らしかった。

この旋回、何Gが掛かっているのか?

素晴らしい!

一糸乱れぬとはこのことだ。

凄い!

さすが。

縦横無尽。

おっ、分かれた。

良い所で旋回してくれた。

美しい。

おっと、一機外れた。

サクラだ。

 

スゲー。

14:54 ♡ マークを書いて終了。

 

帰路、旧R41が渋滞していた。小牧基地の官舎から大型バスやらゾロゾロ出て来る。歩道を行く歩行者も多い。これはもしや?

そして基地の正門には人人人。え〜、入れたの???

 

明日はこんな写真が撮れたらええなぁ〜。

3/211:45 入門。

墓参りがあったのでブルーインパルスに照準を合わせて来たが、孫娘が去年と同じリンゴ飴の屋台へ直行。それを食べていたら、、、

12:09 ブルーインパルスのメンバーが控室から出て来た。

 

カッコええな〜。

観客の数が物凄い!

ブルーインパルスが飛ぶと全然違う。

 

民間機が離陸。この2日間、便減したのだろう。

孫娘は友達を探しながら北へ移動。

しかし、今年は誰も見つからず。

 

13:07動き始めた。

お〜、いきなり3機同時に離陸。初めて見た。

 

後方の3機は単独で離陸。

 

速くて捕捉できない。

しかも、雲が多くて見辛い。

 

雨だった午前中のF15展示飛行と比べれば何のその。

やっぱり基地からはよく見える。

絶景!

 

 

 

 

 

 

お見事!

13:53 着陸態勢に入った。

 

サクラ や ♡ は無かった。天候によるものか?

カッコええな〜。

全機無事に戻って来た。良かった。

 

訓練機が墜落するのを目撃したことがある。保育園児だったが、あの光景は忘れられない。そんな事があり、どこか心配になる。

 

この2年、過去に無い頻度でブルーインパルスに出会って来た。

次に出会うのはいつだろう?

 

2025.3.22(土) 良く通っていた県道の脇にこんなノスタルジックな所があったとは

知多市に幾つか見所を発見。

 

名古屋市内を縦断するのは億劫だが、一念発起して行ってみた。

9:54 尾張八幡神社へ到着。

 

予想以上に時間が掛かった。これでは「東菜館 純ちゃん」の開店に間に合わない。

 

一番乗りは諦めて、ゆっくり行こう。

寺本四か村の総鎮守であり、八幡の地名の起りでもある。主神は武勇の神として知られる応神天皇。

 

天智天皇の勅願寺であった薬王山法海寺の鬼門鎮護のため創建されたとの説が伝えられている。

 

本殿は貞享二年(1865年)造営。三間社の流造りの桧皮葺。知多市文化財。

境内には、さざれ石も。

大智院への曲がり角に菜の花が咲いていた。

 

春が来た。

10:27 金照山清水寺大智院へ到着。別名めがね弘法。

 

聖徳太子の開基で、本尊「聖観世音菩薩」、前立「馬頭観世音菩薩」を安置する名刹。

弘法大師が知多巡錫のみぎりに自らの像を残した。

 

安政年間に盲目の老人が祈願したところ験を蒙った。代わりに大師像の左目が傷ついた。

 

以来、その老人の残した眼鏡が像にかけられ、「めがね弘法」と呼ばれるようになったと言う。

 

眼鏡は護摩で燻されどんどん黒ずみ、真っ黒のインパクトある姿になったそうだ。

立派な本堂。

正面に像が見えた。

確かにインパクトがある!

 

別の信仰が興りそうだ。

目薬の販売もあり。

10:50 佐布里池の「梅の館」へ到着。

 

佐布里池は、昭和40年(1965年)に竣工した独立行政法人水資源機構が管理する佐布里ダムの調整池。

隣接する知多浄水場から知多市・東海市・阿久比町・東浦町へ工業用水を供給している。

 

お〜、桜が満開!

梅は、、、

完全に終わっていた。

 

この所、土曜日に天気が悪くなることが続き出遅れた。

見晴らしの丘を目指して坂を上ると神社があった。

 

愛知用水神社。用水にも神社があるんかい。驚いた。

次に目指す岡田の古い街並みは、、、分からない。

 

 

 

久々に佐布里池のワインディングを走ったが、すっかり忘れてしまっていた。

 

ここもスピードブレーカーができて走り難くなった。

11:20 岡田の古い街並みへ到着。

 

佐布里池へ行くのに通っていた県道の脇にこんな所があったとは全く知らなかった。

岡田地区は、江戸期から昭和30年代まで知多木綿の中心地として繁栄した。

 

ゆるやかなカーブが続く道沿いに、黒板塀やなまこ壁の家や蔵など、往時の栄華の名残が街並に残っている。

高台に行ってみたが、ノスタルジックな雰囲気は味わえず。

知多岡田簡易郵便局、明治35年(1902年)竣工。木造2階建ての洋風建築。

 

現役の郵便局舎としては愛知県最古。登録有形文化財。「日本最古級郵便局舎」と言う奥ゆかしさ。

 

昭和41年(1966年)に別の場所に知多郵便局の局舎が移転し、この建物は郵便局としては閉鎖された。

 

建物は初代局長を務めた伊井家が所有しており、一時的に家具店や八百屋の倉庫として使用された。

平成4年(1992年)、この建物を取り壊す話が浮上。その際、地元住民の間から建物の保存と郵便局の営業再開を期待する声が上がり、翌年知多岡田簡易郵便局として業務を再開した。

 

これを切っ掛けに、平成6年(1994年)に岡田街並保存会が結成された。

 

佐布里池へ通っていたのは、それよりもずっと前だからなぁ。

立派な建物が多く残っている。

 

裕福な地区だったようだ。

手織りの里「木綿蔵・ちた」

 

国の登録有形文化財に指定され、機織り体験や製品販売工房として活用されている。

 

建物は、竹内虎王商店の木綿蔵として明治後期から大正初期に建てられた。

 

知多木綿の機織り体験ができ、コースターや敷物など手作りの作品をつくることができる。

竹内康裕邸と蔵

 

なまこ壁の蔵は、大正9年に完成。第2次世界戦争時に黒く塗られた。

 

当家は、山木綿布を経営されていた。

中谷屋敷紅葉社

岡田では、江戸中期の大火を期に屋敷の中心地に防火の神様として、秋葉社が17ヶ所に祀られた。

現在でも各屋敷では毎年年末に御日待が開かれ、遠州の秋葉神社のお札が祀られる。

年数回は幟を立ててお祈りをする屋敷もある。

 

竹之内資朗邸と木綿蔵

江戸時代中期1700年代に竹内源助が江戸の木綿買継問屋の鑑札()を受け開業した。

県道252号線 太郎坊交差点の慈雲寺。地区の中心。

 

観応元年(1350年)創建。江戸時代の地誌『尾張名所図会』に名勝名跡のひとつとして描かれた。

 

地区最古の観音堂には、千体地蔵が安置されている他、寺宝として200年前の雨乞いに使われた壺が残る。

11:50 東海市の東菜館 純ちゃんへ到着。

 

名鉄 太田川駅の東100m。偶にTVへ登場する人気店。壁には色紙が多数。

 

ここに一番乗りしようと思って出発したが、この時間になってしまった。

 

しかし、すんなりカウンター席がゲットでき多少拍子抜け。

オーダーは日替りランチ1,000円。唐揚げ、五目うま煮、冷奴、ご飯とスープ。

 

予想外の折箱だった。少なそうに見えて、これが結構なボリューム。味もバッチリで大満足。

 

日替りランチのオーダーは多かったが、東海市民のソウルフードと言われるカイコウ飯の声もチラホラ。

 

唐揚げ入りの中華飯。美味かったからなぁ。

 

2025.3.29(土) 最近でも時々見つかる不発弾の恐ろしさを実感

今年は終戦から80年目。80年前の3/24-25、名古屋の街は大空襲に遭った。

 

小さかった母を載せた大八車を祖父が引き、東区矢田から春日井へ逃れたことで私の今がある。

 

中区の大津通りに面した愛知県庁大津橋分室内の「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」へ向った。

10:45 名古屋市中区の愛知県庁へ到着。現在改修工事中。

 

愛知県庁本庁舎は、昭和天皇即位の礼「御大典」を記念する事業の1つとして昭和13年(1938年)に竣工。

 

銀行建築で名を馳せた建築家・西村好時と東京・銀座の和光ビルを建築した建築家・渡辺仁が基本設計。

 

昭和の粋がこらされている。

先ず目を引くのは、鉄筋コンクリート造の近代的な洋風の屋根に設けられた名古屋城大天守風の意匠。

 

洋風の建物と和風の城郭を思わせる屋根という和洋折衷の「帝冠様式」建築。

 

テラコッタタイルと瓦屋根のマッチングが鮮やかな、国指定重要文化財。

 

入ってみようと思ったが、正面入口が閉まっていたので断念。

県庁の北に建つ名古屋市庁舎。名古屋城の旧三之丸に位置する。

地下鉄の駅名が「市役所」から「名古屋城」に変わったのは、2年前のこと。

 

現在の建物は、昭和天皇御大典事業として昭和8年(1933年)に新築されたもの。

「日本趣味を基調とした近世式」と呼ばれ、当時の市庁舎として突出した規模を誇る。

 

コンペで金賞となった平林金吾の案を基に、名古屋市土木部建築課が設計。

鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階地下1階建。正面中央に53.5mの時計塔が聳える。

 

外観はタイルやテラコッタで飾り、車寄やパラペット頂部、塔屋は瓦屋根風の意匠。

 

各階の正面に配置された正庁や貴賓室、議場は伝統的な意匠を巧みに織り交ぜた格調高い意匠。

 

昭和初期の記念的庁舎建築として高い価値がある。こちらも国指定登録文化財。

11:00 愛知県庁大津橋分室へ到着。

 

目的地は、この中に常設されている愛知・名古屋 戦争に関する資料館。

 

この建物は、昭和8年(1933年)竣工。昭和の大建築家・黒川紀章の父らが設計。

 

昭和初期に流行したスクラッチタイルや手の込んだ漆喰装飾など、興味深い。

足を踏み入れると、天井が高く懐かしい感じがした。

 

エントランスに昭和の出来事の年表。

 

世界のあちこちで今も戦争が行われている。早く平和が訪れることを祈る。

南警察署の地中から平成9年(1997年)に発見された「250キロ爆弾」の実物。

 

最近でも時々見つかり近所を封鎖して自衛隊が処理しているが、もしこれが爆発したら大参事が起きるだろう。

 

きっとまだまだ地中に眠っていることだろう。改めて恐ろしいと思った。

E46集束焼夷弾模型を中心に当時の実物資料が展示され、名古屋空襲のCG等も放映されている。

 

「焼夷弾」とはどんなものか、これを見ると良く分かる。

鉄兜やガスマスクは家にあった。

 

写真は3/24-25の名古屋空襲。良くぞ逃げ切ってくれた。

広小路は焼け野原に。

モダンな階段を上り、2階へ行ってみた。

懐かしい感じ。

昭和モダンは面白い。

11:26 名古屋能楽堂前。

 

ちらほら咲く桜が名古屋城を完全にシャットアウト。

西へ回ってみたが、狙った「桜と名古屋城」とは行かず。

名城公園からのこれが精一杯。

11:55北区の味良へ到着。

 

うわっ、行列。遅過ぎた。

 

カレー煮込み、味噌煮込みの煮込みうどん専門店。出来上がりに時間が掛かる。

 

40分ほど待って漸く入店。

オーダーはカレー煮込み950円。3/5から100upしていた。

 

グツグツ煮え立つ鍋が到着。

 

硬い麺は歯応え抜群。出汁の効いたカレー味も美味い!肉、油揚げ、ちくわと具も豊富。アッと言う間に完食。

 

老夫婦2人で切り盛り。鍋が熱いので、小学校低学年以下は入店お断り。ハハハ。



 

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