トコトコ中国バスの旅

 

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Update : 2026.10.23

 

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▼My Collection − Monkey − 訪問地 − 美食

 

【旅日記】

 

2026.9.18(金) 戦争の悲惨さを実感

ひと足早くシルバーウィークへ突入。

 

天気は良いが、愛車の調子が今一つ。様子見がてら、千種公園にある壁を目指した。

 

が、先ずは腹ごしらえ。

11:03 名古屋市東区の南海園へ到着。

 

店の横に薬や業者の屋号などが彫られた薬碑なるものが建つ。

 

明治の頃、東濃一の薬屋だった「鎌屋」が名鉄小牧駅前の街道筋に宣伝用として建てたもの。

 

当時この店を手伝っていた大谷染物店の店主が名古屋に移った時に貰って来たそうである。

最近ちょくちょくメディアに登場するので混雑を心配したが、一番手だった。

 

夫婦2人で営む昭和の町中華は中々の店構え。

 

店内もホッとする雰囲気。壁には色紙が多数。

オーダーは、B日替り+らーめん 600円!本日の日替りは麻婆飯。びっくり価格。

 

ラーメンの麺はワカメを練り込んだ自家製。スープは和風。

 

麺を完食すると、うどんスープを飲んでいる感じで面白い。次回は+80円し、こんこつを食べてみたい。

 

麻婆飯はトロ餡の日式。自分で選択することは無いが、これはこれで美味しかった。

11:33 千種公園へ到着。

 

緑豊かで街の中のオアシス。

 

ここにはかつて旧日本軍の陸軍造兵廠千種製作所があった。

 

昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で壊滅。

「痛みを共有し、継承を」と、第二次世界大戦の痛みと記憶が刻まれている。

 

ゼロ戦を生産するなど大軍需都市だった名古屋市は、60回以上の空襲で焼き尽くされた。

 

市民約8,000人が死亡。それに劣らない数の市民が重軽傷を負った。

穴が開き鉄筋がむき出しになった造兵廠のコンクリートの壁が当時の激しい戦火を生々しく伝えている。

 

千種製作所は、大正8年(1919年)発足。

 

第一次世界大戦で新兵器として登場した飛行機の国内生産に取り組むために設置。

 

熱田製作所で機体を生産し、千種製作所で発動機を生産する分業体制だった。

壁の横に慰霊碑が建つ。

 

昭和20年、3/25、4/7、6/26の3回、B-29の爆撃を受け職員だけでも69人以上の犠牲者が出ている。

 

 

帰路、とんかつの「もり川」を調査。店頭に並ぶ人無し。平日なら並ばず入店できるかも。

 

2026.10.3(土) ここから鉄砲による城攻めが始まった

エンジンの調子が心配だったが、凄い所を見つけたので知多郡東浦町の村木砦跡へ向った。

 

案の定、大高駅の辺りから具合が悪くなった。

 

帰路は赤信号で停車する度にエンスト。再始動は問題ないが、発進でまたエンスト。

 

足で押し出し、微妙なアクセルワークで上手く発進すれば次の停車までは問題なし。あ〜疲れた。

10:19村木砦跡へ到着。

 

現在は八剣神社が建つ。

 

村木砦の戦の死者の霊を祀るために元亀2年(1571年)に建立。

天文22年(1553年)頃、天下統一を志して尾張へ侵入した今川義元が築いた。

 

翌年、緒川城主水野信元が織田信長の支援を受けて奪取。世に言う「村木砦の戦い」。桶狭間の6年前。

 

日本の城攻め砦攻めで初めて鉄砲が使われた戦い。橋本一巴が活躍したのだろう。

 

足下はどんぐりで埋め尽くされているが、掘り返すと鉄砲玉が出て来るかも。

村木砦は、東西240m、南北約150mの馬蹄形をしていた。

 

地区境の旧道は、当時の空堀の跡。

 

現在は砦の東端をJR武豊線が南北に縦断。

 

その東には田畑が広がっているが、往時は海だった。

10:37 村木神社へ到着。

 

村木砦の戦いで、織田信長が本陣を定めた場所。

 

ずっと後のことだが、大正2年(1913年)、ここにあった津島社(天王社)に八藩社を合祀し、村木神社と改称。

立派な境内。

 

毎年9月最後の日曜日に、人馬一体で疾走する「おまんと祭り」がある。今年も無事行われたようだ。

 

この祭りは、桶狭間の戦いで織田信長の戦勝祝いとして村人が清洲城へ馬を走らせたのが始まり。

 

以後各村が社寺の祭礼行事として馬の塔を行うようになったと言うが、残っているのは珍しいのでは?

近辺では一番の高所。

 

村木砦周辺は勿論、海から来る今川軍も良く見えたことだろう。

10:59 昔ながらの住宅街に迷い込み、散々迷って飯喰場へ到着。

 

その名が示す通り、今川軍に勝利した水野・織田軍が酒盛りをした場所。

 

現在は森岡新池公園となっている。

11:05 ベルンへ到着。

 

ベルンはスイスの首都。店頭のメニューに「洋食」文字。元々はそう言うお店だったのか。

 

外観も店内も、昭和の世界。昭和前半生まれであろうオッチャンのワンオペ。

 

売りは自家製麺の長崎ちゃんぽん。長崎出身なのかな?

オーダーは、鶏のガーリック焼定食 600円!凄い!大学芋まで付いている。

 

味もバッチリ。ボリュームも十分。他にも600円定食メニューが豊富。

 

出来上がりに少々時間は掛かるが、出来たての熱々を食べられるのは嬉しい。

 

それにしても未だ残っているんだ、こう言う店が。よくよく探してみよう。

 

2026.10.11(日) 漬物にも神がいた

清須市に良い所を発見。周辺を調べたら「日本で唯一」を見つけ、あま市の萱津神社へ向った。

10:33萱津神社へ到着。

 

この神社、日本で唯一、漬物の神様を祀っている。

毎年8月21日に「香乃物祭」が開催され、多くの漬物関係者が参詣するらしい。

 

ズラッと並んだ幟には、どれもこれも食品会社の名前が書いてあった。

 

 

この建物は熱田神宮から下附され復元されたもの。貞享年間(1684-1688年)に徳川綱吉城軍が寄進。

境内には色々な神社の社が並ぶ。八百万の神の国だなぁ。

 

段違いに大きい中央の社が漬物を納める「香の物殿」。

昔、この付近一帯は海岸に面しており、神前に野菜や藻塩を供えて五穀豊穣の祈願をした。

 

地域の人たちがこの神社に野菜と塩を瓶に入れてお供えしたところ、ほど良い塩漬けができたことが由来。

 

これが日本の漬物の始まりだとか。

萱津神社は旧鎌倉街道に面している。

 

清洲城を出発した織田信長軍団は、この道を駆け熱田神宮へ向ったのだろうか。

10:55 清須市の「のんき〜」へ到着。

 

古き良き、駄菓子を売る昭和のお好み焼きの店。

 

焼きそば肉入り大盛とお好み焼き肉玉をオーダー。370円と300円!

 

25分ぐらい掛かるとのことで店内で待つ。

テーブルも有ったので店内で食べたかったが、聞くまでも無く包まれていたので持ち帰り。

 

受け取るとずっしり重い。

 

新川 桃山橋袂の堤防の階段に腰を降ろし袋から取り出すと、、、

うわっデカイ!物凄い量。

 

焼きそばから食べた。作るのを見ていたら、2玉だった。これだけで、結構満足。

 

お好み焼きは想像を遥かに超える厚さ。粉よりキャベツがギッシリなのが救い。完食したが苦しかった。

 

どっちも食べてみたかったからなぁ。しかし、焼きそばは並みにしておけば良かった。

 

2026.10.17(土) 地上152mからの絶景

昼食からの逆引きで発見した岐阜市の絶景ポイントへ向った。

 

往路は、恐ろしいが最短最速のR22。

 

帰路はゆったり中山道。

 

だったが、今朝はガソリンを入れていないことを思い出し、犬山からはガス欠を心配しながら帰着。

10:20 岐阜シティ・タワー43へ到着。

 

JR岐阜駅の北西徒歩3分の場所に建つ。

 

R22の新木曽川橋を渡った所からも良く見えた。

 

このビルを目印にすれば道に迷う事は無い。

午前10時から午後10時まで、展望室と専用エレベータを無料開放。太っ腹。

 

住宅を含む複合タワーでは、中部圏一の高さ。163m。

専用エレベータで45秒。

 

43階、地上152m、岐阜のてっぺんへ到着。

お〜、絶景!

 

金華山、長良川、岐阜の街を一望。

足下には、問屋町ウォールアートが見える。

岐阜駅方面に目を向けると、濃尾平野が一望できる。

 

名古屋駅のビル群も見える。

 

足下には、金色に輝く豆粒。

信長像だ。

 

 

北京で51階に住んでいたことがある。紫禁城が見下ろせる部屋だったが、空がいつも霞んでいたなぁ〜。

10:38問屋町ウォールアートへ到着。

 

繊維問屋街の南壁一面、青空に雲が流れている。

 

幅約130m、高さ約20m。

亀や魚も泳いでいる。

通路には鳥や動物。

 

地元の若手アーティスト達の作品。

 

 

作品は以上。場所は有るのでもっと書けば良いと思うのは部外者だけか?

問屋街はどこもシャッターが閉まり寂しい。土曜日だから?

10:59 「じゃがや」へ到着。

 

岐阜シティ・タワー43から歩いても数分。

開店直前、店の外に人だかり。

 

遅かったか?と思ったが、6人だったので続いて入店できて良かった。

 

メニュー豊富で、どれも800円。

 

しかし、事前調査で決めていた「豚肉のステーキの塩あっさり野菜ソース」が落ちていた。ショック。

週替りランチの中からチキンカツとタコスの2色丼をチョイス。こんなに揃って800円!味もバッチリ。

 

並盛のご飯が2杯なのでボリューム満点。大満足。

 

さて、次回は何にしようか。

 

2026.10.23(金) ここに信長の廟があるとは知らなかった

先週は「信長死すべし」、今週は「修羅走る 関ヶ原」を貪る。

 

信長つながりで名古屋市中区大須の景陽山 總見寺へ向った。

 

正に時代の真っ只中。

10:55 大津通りに面した大須万松寺通りの東口に到着。

 

随分久し振り。中学生の頃はアメ横に通ったな〜。

 

角の天津甘栗屋は健在だったが、店の表から甘栗を作り機会が無くなっていた。

相変わらず賑やか。

 

何十年か前に革ジャンを買った店も健在。

 

エンジンを止め、モンキーを押しながら商店街を進んだ。

亀岳林 万松寺。天文9年(1540年)、尾張一円を領していた信長の父、古渡城主・織田備後守信秀が瀬戸市赤津・雲興寺から伯父の大雲永瑞大和尚を迎え、織田家の菩提寺として建立。

 

創建時は大殿を中心に七堂伽藍で錦と丸の内二、三丁目にまたがる約五万五千坪の一大寺院だった。

 

慶長15年(1610年)、名古屋城築城にあたって徳川家康公の命により現在の地に移転。

“幼少家康、万松寺に日を送る”

 

6歳の竹千代が今川への人質として駿河へ送られている途中、捕らわれて信秀に“売られた”。

 

海路尾張へ送られ、熱田の加藤図書助順盛宅、さらに万松寺で3年間暮らした。

 

そんな由緒のお寺も、もはやゲームセンターの趣。

北側には信秀の廟所の墓碑が建つ。

 

天文21年(1552年)、病により死去。万松寺で盛大な葬儀が行われた後、境内に埋葬された。

 

墓碑は元々境内にあったが、老朽化した諸堂立て直しのため2015年に撤去。2018年にここへ移設された。

信秀墓碑横の社には、お釈迦様の足跡を石に刻んだ「仏足石」が祀られている。

 

加藤清正が名古屋城築城の際に天守閣の石垣として集められた石材の中から発見した。

 

清正は身代不動明王によく参拝しており、この仏足石を奉納したとされている。

信秀墓碑の前を西へ向うと小さなラウンドアバウトに突き当たる。

 

中央が大須公園。

 

北東角が本日の目的地「景陽山 總見寺」。

 

南西には「湯火功夫 麻辣燙」。最近色々な所にある。最低250gで1,000円なので決して安い訳ではない。

11:04 景陽山 總見寺の山門へ到着。

 

天正11年(1583年)、信長次男・信雄が、父追福のため伊勢国大島村の安国寺を總見寺と改め清洲に再興。

 

慶長16年(1611年)、清洲越しにより現在の地に移転。

戦災により一部焼失したが、寺宝には織田信長公座像、旧清洲城壁画,南蛮渡り金入織物紙入などが現存。

 

境内には信長、信雄の廟があり、信長の命日6月2日には毎年法要を営まれている。

 

残念ながら、門は閉ざされていた。

万松寺通を進むと、お好み焼の良い匂いが漂って来た。

 

鈴木商店。老夫婦が頑張っている。

 

お好み焼 肉・玉 400円、焼きそば 肉入り 350円!この一等地で。凄い!

 

そそられるが、今日はパス。

11:35 千種区の「もり川」へ到着。

 

漸く食べられる。開店直後で一巡目が入店し、外待ち”0”。中待ち2人。

 

既に皆さん食べており、さほど待つことなく着席。カツは予め揚げあるのでサーブが早い。

 

御年80歳のマスターは、栄「黒豚屋 らむちぃ」を立ち上げた方。

オーダーは、みそかつ鍋定食880円!たっぷりの味噌が煮え滾る鍋から、食欲をそそる良い匂い。

 

葱で三元豚ロースの姿が見えない。脇の卵が良い感じに固まっている。ご飯は大盛級で嬉しい。

 

カツは厚く、柔らかくて食べ易い。脂は殆ど無し。美味い!ご飯がすすむ。卵載せの味噌かつ丼でフィニッシュ!

 

味噌汁も絶品だった。8割以上、みそかつ鍋定食オーダー。作り置きでもこの食べ方なら問題ない。



 

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