トコトコ中国バスの旅 |
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【旅日記】
2023.1.7(土)
だいぶ盛られた家康のエピソードとラーメン |
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新年の1発目は、迷いに迷い徳川家康ゆかりの地?龍源山太清寺へ。 ポジティブ要因:@税込350円で買ったKADOYA製皮ベストの威力確認、A気になるラーメン屋を発見 ネガティブ要因:@天気予報は雨、A外は寒い、B近場に興味を引く所が見当たらない 天気予報が晴れに変わったので出掛けた。 |
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10:47太清寺へ到着。出発から10分。 その昔「醍醐山龍源寺」と言い、千年を越える歴史がある。 天正12年(1584年)、徳川家康が小牧山から長久手へ軍勢を率いて向う途中、ここで小休止し「勝川」の名を吉慶と喜び、阿弥陀堂で必勝祈願をして出陣し、勝利を収めた。 そんな事を知ったのは、つい最近。 |
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本堂へ続く左手前の建物は、旧東春日井郡役所。 調べてみると、東春日井郡とは明治13年(1878年)に「名古屋市千種区の一部、守山区全域、名東区の一部、瀬戸市の大部分、尾張旭市全域、春日井市全域、小牧市の大部分」で発足した時の郡役所だった。 昭和になると市政による独立が始まり、昭和18年(1943年)に春日井市が発足し郡から離脱した。 戦時中で大変だったろうに。 |
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本堂と薬師堂。 薬師堂は、創建年月不明。慶安4年(1651年)に再建されたもの。 |
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十王堂。昔の家や菅必勝祈願した阿弥陀堂。 創建年月不明。かつては龍源寺境内の東に位置し八間四方の堂字であったが、焼失や台風による大破を経てここに再建された。 明日から始まるNHK大河ドラマ「どうする家康」に因んだものか、幟が立っていた。 |
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阿弥陀如来像。 阿弥陀堂の焼失した余木を使って、阿弥陀如来像を彫刻し堂字を建立安置された。 |
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家康のエピソード2 庄屋長谷川甚助の妻が差し出した牡丹餅を食べようとしたが、箸が1本折れて顔を曇らせた。すると、甚助が「これはまさしく天下は一本に成るの吉兆でございます」と申し上げたところ笑顔となり、牡丹餅を召し上がられ、軍を指揮して勝川を渡り戦場に向かわれた。 ホンマか? |
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10:59 ラーメン道 時の鐘に到着。この店は、太清寺の場所を調べていて偶然発見。以前一竜軒のあった場所。 オーナーは独立リーグの元野球選手。東京の「らーめん526」で修業し独立したそうだ。 店前の椅子に3人。しまった、遅かったか? いやいや、まだ準備中だった。 寒いのに日陰で開店待ちとは期待が膨らむ。 11:03 少々遅れて開店。嫌いな券売機だが、ラーメン900円とチャーシューメン1,300円の2択なのでOK。 |
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じゃじゃ〜ん。山盛りで登場。 麺は普通300g、少なめ250g、半分150gから普通を選択。+200円で大盛もあるが、どうなっちゃうの? ヤサイ大盛、アブラとニンニクは普通。ちょい紅をオーダーし忘れ今回はレス。 チャーシューは”塊”が2つほど。これがホロホロで美味い!
是非また来よう。 満足して外に出てビックリ。愛車の下にガソリンが滴下。キャブからオーバーフローだ! 皮ベストはビッグサイズだが、ジージャンの上に着るには丁度良い。良い買い物をした。 |
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2023.1.21(土)
目的は達成したが、想像と大きく違い拍子抜け |
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Google Mapを弄っていたら、犬山に滝がある事を発見。 食べログで良い店も見つけたので行ってみた。 |
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寂光院の門前から山を下り木曽川に出た。 天気が良く、眺めが良い。寒さを我慢して来た甲斐あり。 |
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10:03 不老の滝への入口に到着。 ところが、山へ向う階段の脇に「工事中」、「立入禁止」の縦看板。あぁ、ダメか? と思ったが、水の流れ落ちる音が聞こえる。 目を凝らすと、縦看板の右に水の流れが見えた。えっ?そんな近くだったの? |
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近付くと、間違いなく滝。しかし、余りの近さに拍子抜け。しかも、かなり小振り。 犬山では、八曽の滝と並ぶ名滝と言われ、枯れたことが無く、打たれると健康で長生きするそうだ。 滝壺は釜のように良い感じだが、入って良いのかい? それにしても、何度となく通った道だが気が付かなかった。 |
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木曽川沿いに上流へ向った。 桃太郎神社前を通過。 |
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10:24 栗栖の渡しへ到着。 貞享2年(1686年)から昭和35年(1960年)まで、対岸の美濃国勝山村(現岐阜県加茂郡坂祝町)へ至る渡船場があった。往時は、尾州と美濃、飛騨を結ぶ交通の要所となり、船着場は「勝山湊」と呼ばれ栄えた。 渡船は岡田式と言い、川の両岸に長さ約9mの支柱(丸木)を立ててワイヤーロープを張り、それに通した滑車と船をワイヤーで結び水の力で移動させるものだった。船は全長14.4m、50人乗れた。馬車もOK。 |
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対岸に五代目食堂が見える。 ここに船があったら便利。馬車が乗るなら、原付など軽いものだろう。 |
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この辺りには、赤茶けた岩肌のチャート地層が広がる。中々迫力がある。 チャートは、陸から離れた深海底で堆積した放散虫というプランクトンの殻が固まった岩石。 非常に硬いため、昔は火打ち石として使われていた。現在では、庭石や玉砂利として使われている。 |
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河原で感激して愛車に戻り吃驚仰天。 スタンドが埋まりコケていた。 幸いトラブル無く良かった。 |
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見事な竹林。 この姿に誘われ、前進。 |
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抜けた所で先行きが怪しくなったのでUターン。 |
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10:40 観音瀬入口へ到着 水路に沿って歩いて行き掛けたが、舗装こそされていないものの走れそうなので遣り直し。 |
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こいつは素晴らしい。 |
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絶景! しかし、ゴツゴツの河原は歩き難い。 |
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2012年までここでライン下りをやっていた。美濃太田から犬山橋下まで13km。 迫る岩の間を縫って下るスリリングな遊覧コース。この間は日本八景河川の部で第1位に選ばれ、雄大な 河川美がドイツのライン川に例えられた。多くの奇岩・怪岩を作りだし、轟々とした早瀬と鏡のような深淵の流れを壮快に下る。熟練の船頭さんの舵さばきは見事だった。 子供の頃に乗った記憶があるが、定かではない。 |
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11:30 犬山駅東750mのじゃりん子で昼食。 食べログで見つけたお店。土日もやっているランチに興味津々。 住宅街の細い路地の先に店を構える。正しく知る人ぞ知る。 老夫婦経営で、店も応対も昭和的で面白い。中でも座敷に掘り炬燵が4つ並んでいたのには驚いた。 |
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オーダーは、チャーハン+ラーメン850円。物価高騰の折、食べログ情報から100円値上がり。 それよりも、ランチ看板が出ておらず焦っていたら「夜のままだった」と、定食メニューの裏から出て来た。 ボリュームたっぷりで味も良く麺も美味い。次は50円高い中華版+ラーメンにチャレンジしたい。 |
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2023.1.28(土)
ゴールと決めた石碑が見つけられずガッカリ。しかし、最後に一発逆転 |
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先日立ち寄った春日井市立中央公民館の考古資料収蔵庫で「春日井市の下街道ガイドマップ」を見つけた。 これが中々興味深く、今回は下街道を辿ってみることにした。 出発前にチェックポイントを26ヵ所ピックアップ。さて、何ヵ所クリアできるか? |
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下街道(したかいどう)は、江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還。 善光寺道、釜戸筋、内津道、名古屋道、伊勢道とも呼ばれたそうだ。 中山道の大井宿と大湫宿の間にある槙ヶ根追分から、釜戸、内津を経て名古屋城下の伝馬町札の辻まで。 土岐川の沿岸を通り全長15里。現在のR19に相当。 |
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9:30 春日井市部分南端のR19勝川橋北交差点を出発。 |
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この辺りが「勝川の渡し」だったのか? 往時の庄内川はどんな姿だったのやら? |
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名古屋自動車学校の東を北進すると、大きなウィングを付けたZがいた。 少し開いた工場の扉の隙間から板金作業中の車が見えた。中々面白い。 |
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T字路の向こう側は、中古自動車部品屋さん。 実に面白そう。物色したい。 昔はこの手の店に良く通い、エンジンまで買ったものだがなぁ。 |
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勝川町3丁目交差点南東のR19沿いに建つ長谷川邸。旅籠跡。屋号は住吉屋。 文政4年(1821年)に790人が宿泊した記録「萬覚帳」が残っている。 小牧へ向う上街道方面への分技地点で、明治中ごろまで旅籠、店屋、車屋、芝居小屋が軒を連ね賑わった。 |
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裏に回ってみた。 立派な佇まい。 何年も毎日朝晩、目の前の交差点を通過していたが、そんな由緒とは知らなかった。 ほんの3週間前に直ぐ近くの太清寺へ行った時ですら。 |
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9:53 すいどうみちへ到着。 この所、毎日寒さが厳しい。桜の咲く季節の訪れが待ち遠しい。 緑道の下には、大正3年(1914年)から名古屋市民に飲水を供給している上水道が流れる。 |
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10:00 住宅街で街道を見失い、行き過ぎながらも油茂商店を無事発見。 江戸時代からの菜種油屋。明治末期からは味噌たまり醸造も始め、昭和10年(1935年)頃から酒屋も営業。 切妻瓦葺2階建、白い漆喰壁の塗屋造り。近世末期の町家建築。 春日井市役所南東約500m地点。 |
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10:02 お天王さま/常夜灯へ到着。 天王社、熱田社、秋葉社を祭る。 地域の集会所として使われていた。 |
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2つの常夜灯は頑丈な鉄柵で囲われている。 いつ崩れてもおかしくないと見えるので懸命な処置。 |
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10:06 きらく屋へ到着。と、同時にシャッターが開いた。 懐かしい。子供の頃、プラモデルを買いに来た。続いていて嬉しい。 県道25号 春日井一宮線の鳥居松南交差点東側の鳥居松商店街。 |
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10:08 春日井市立郷土館へ到着。 江戸時代末期に建てられた、酒造業飯田家の離れ。 昭和48年(1973年)郷土館として開館。 ここも子供の頃に来た。 |
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10:12 観音堂へ到着。 この界隈は馬、籠、馬車等の往来が繁く、宿屋、芝居小屋、呉服屋などが立ち並び賑わっていた。 俳人・横井有也が内津への旅の途次憩い、「夜と昼の目は色かへて鳥居松」と詠んだのだとか。 ここでまたキャブからガソリンがオーバーフロー。困ったものだ。 |
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堂内には、馬車組合が大正13年(1924年)に建立した馬頭観音と33体の仏像の石碑。 更に仏像が8体。 |
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下街道双六。 良く書いたものだ。 |
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10:23 賜恩山退休寺へ到着。 尾張藩2代藩主 徳川光友の傳役、小野沢五郎兵衛が隠居所として賜った地に正保元年(1644年)開基。 山門は初代藩主義直が母のために建立した名古屋の相応寺から移築したもの。 |
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退休寺山門前の古井戸。 村人や下街道を行く人々の喉を潤した。 |
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10:26 また出た、お天王さま/常夜灯。 覆屋内に天王社が祭られ、境内に秋葉山と金比羅大権現の刻字がある常夜灯がある。 R155大泉町交差点南西角。 |
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10:30 八幡社へ到着。 名古屋城下を出発し、最初の峠が始まった。 右手に八幡社、左手は御嶽神社。 |
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八幡社。天正9年(1581年)創建と伝えられるが、実は定かでないらしい。 春日井商業高校新設の際、この地に移転。昭和40年代後半に社殿が改築された。 隣の弘法大師堂には、珍しい立ち弘法がある。 |
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引き寄せられるように御嶽神社の参道を上って行った。 |
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すると、舞台が現れた。 尾州下街道福寿講の活動拠点、御嶽山参拝の足掛かりだった。 本殿の横には覚明霊神など30基ほど霊神や二十二夜の碑がある。 二十二日の夜、人々が集まり勤業や飲食を共にし月の出を待つ「月待ちの行事」を行った。 |
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10:37 尻冷し地蔵へ到着。 中部大学の北側で道路が分岐。右側のフェンスに“尻冷し地蔵”の看板があり助かった。 |
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正保4年(1647年)の刻字があり、市内最古と言われる石の地蔵。 討たれる直前にここで喉を潤した武士を偲び、ここに建てた。 台石の下から清水が湧き、常に濡れていたことからその名がついた。 |
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10:48 坂下札の辻跡へ到着。途中、下街道から大きく外れたが上手く復帰。 江戸時代「札の辻」のあった場所に、尾張藩が宿場を整備するために出した「坂下新町免租状」が立つ。 現在の立札は、平成12年(2000年)町おこしの一環で復元されたもの。 |
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坂下の町並み。昔の面影が残る。 立派な建物が並ぶ。こちらは永井製糸工場跡。どおりで。 |
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左は萬屋新兵衛跡。昔は旅籠。今は桃やぶどうを販売。 右は長谷川製糸工場跡。 明治から昭和の初めにかけて製糸工場が多数あり、坂下は製糸の町だった。 |
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10:54 坂下の道標と常夜灯へ到着。 「右 江戸せんこうし 左 さくミち大山」と自然石に刻字された道標が別名「善光寺街道」を偲ぶ。 |
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左へ100mほど進むと萬壽寺がある。 文亀元年(1501年)創建。 明治天皇御巡幸の際に行在所(昼食場所)になった。内津峠を越えて一服か。大変だったろう。 その時の本堂は大正元年(1912年)に焼失。大正10年(1922年)に再建された。 |
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11:05 県道508号線、旧R19沿いの、たこ焼き・明和。 相変わらず賑わっている。30年以上変わらない。立派だ。 たこ焼き屋に誘導員。他にあるだろうか? |
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美味そう〜。 |
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11:15 内々神社、妙見寺へ到着。 まさかの残雪。一気に寒くなった。路面の凍結が心配。 最終目的地は目の前。恐る恐る前進。 |
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ところが、峠のてっぺんを越えても最終目的の「内津峠の道標」の石碑が見つからない。 「旧R19から多治見市の廿原へ向う三叉路の角」にあるとの事だが、、、雪に埋もれていたか? 寒い上にダンプがひっきりなしに走り恐ろしい。それに辻野予定も心配。そんなことで、あっさり諦め。 結果、クリアは15ヵ所。勝率5割8分。坂下の道標以降は、1/8ヵ所。天気の良い日に再チャレンジしよう。 |
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内津峠を下り、西春日井郡豊山町へ向う。 名古屋空港南のイチロー展示ルーム前を通過。人気無し。 次の伊勢山南交差点を左折すると目的地へ到着。 |
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12:10 まぐろの家 心へ到着。 やっぱり並んでいる。 記帳して雪のチラつく寒空の中で待つ事35分。順番が来た。 |
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オーダーは、ランチの焼魚+刺身定食 950円。 運ばれて来たお盆の料理を見てビックリ!巨大なマグロに感激! しかも、ご飯は何杯でも、味噌汁は1杯、おかわりできる。 美味かった〜。大満足。しかし、今まで知らなかったことにガッカリ。これからは足しげく通って取り返そう。 次は開店前に並んで、5食限定の海鮮丼が食べよう! |