トコトコ中国バスの旅 |
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▼My Collection −
Monkey − 訪問地 −
美食
【旅日記】
2023.5.13(土)
いくら森林とは言え、こんな所に本当にクマがいるんかい! |
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GW 9連休の初日に外した尾張旭市の「おかだうどん」を軸にルートを検討。 結果、’05年の愛知万博「愛・地球博」の会場候補地となったが、オオタカの営巣が確認されたことを契機に反対運動が拡がり会場計画が見直された瀬戸市の「海上の森」を目的地に決めた。 |
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9:20 海上の森が目の前に迫って来た。 近付けば道路標識が有るだろうと踏んで来たが、全く無い。 |
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唯一あったのは、表札かと思えるこのサインだけだった。 |
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9:25 駐車場へ到着。 大きなカメラを携えた人が割と大勢いた。探鳥会のメンバー? 看板の説明によると、この先駐車場は無い。市道以外は進入禁止。全面通行止めや関係者以外の制限なし。 |
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気になるのは、この掲示。 いくら森林とは言え、こんな所に本当にクマがいるんかい! |
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湧水で泥濘のできた未舗装区間を抜けると見事な里山になった。 |
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オオタカの営巣はどこ? 森林の大部分は県が所有。 |
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陶龍寺の看板に「武田信玄公の隠された墓」、信玄、側室、家臣、合わせて55人。胡散臭いなぁ〜。 ここで、作業着姿のオヤジに「駐車場から先に入って来てはいけない」と声を掛けられた。 入口の看板にハッキリ書いてあれば入ることは無かったのだが、、、少々気分が悪い。 |
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胡散臭い寺へ行き、この先にある古民家、里山サテライト「かたりべの家」に寄ってみたかったが、断念。 かたりべの家は、造りが生家にソックリだったので残念。 それにしても、この寺といい、西山自然博物館といい、瀬戸は面白い。 |
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9:54 あいち海上の森センターへ到着。 万博の瀬戸会場跡地。 愛知万博は広州へ赴任した前後に開催された。 ’70年の大阪万博の様な熱気も魅力も感じなかったし、忙しかったので行っていない。今思うと勿体無い。 |
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海上の森は、海上、屋戸、吉野、広久手の4町にかけて約600haと広大。 とても歩き回る気にならない。 |
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センター内を見学。 1階は展示、2階は工作、3階は研修のスペース。 工作か研修か分からないが、老若男女が車座になり講義が行われていた。 |
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これは面白い。 |
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ここまで来て、まったく歩かないのも良くないと思い、遊歩施設を巡った。 案内によると、20分程度。丁度良い。 |
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と思ったら、いきなり急な階段。 |
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階段を上り切ると、「窯の歴史館」があった。 土足厳禁。スリッパに履き替え、内部を見学。 ここには、平安中期の窯跡が保存されていた。 |
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瀬戸窯最古の広久手30号窯跡。 万博会場の建設に伴う平成12年(2000年)の発掘調査で10世紀末の平安時代中期に灰釉陶器を焼いていた窖窯で、瀬戸市内にある窯跡ではもっとも古いことが判明。 時代的には猿投窯が縮小して瀬戸窯に移行する時期に当たるとされる。 隣接して見つかった広久手20号窯跡は調査後に埋め戻された。 |
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キンマ道 林道やトラックの無かった時代、山で切った木を木製のソリ「木馬」に縛り付けて線路の枕木の様に敷き並べた木の上を滑らせた。危険な仕事だったので稼ぎが良かったそうだ。 ダイナミック。 |
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木陰に物見の丘展望台が見え、安堵。 展望台は13.6mと10.9mの2つ。入口が別れており、当然高い方へ。 木組みでスケルトンの面白い構造。 |
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森の中心方向。 見えるのは、森、山、空、以上。 |
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西南西方向は、ジブリパーク、モリコロパークの観覧車、東山スカイタワー、名古屋駅のビル群が見渡せた。 中々足の向かなかった所。一つ宿題をやり遂げた感じ。 |
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11:15 おかだうどんへ到着。 オーダーは、きしめん定食700円+かきあげ100円。麺大盛150円は迷ったが、セーブ。 美味かった!2週間待った甲斐あり。きしめんがツルツルで口の中で踊る。汁もバッチリ。 かきあげは玉ねぎと人参。玉ねぎの中心部分は丸ごと煮込み、おかずで出て来た。 日・月・祝日休みなので少々難しいが、是非また来よう。おばちゃんのワンオペだから仕方ない。 |
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2023.5.20(土)
初日の出スポット発見 |
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今週は急激に気温が上がり5月にも拘らず30℃を超えた。今年の夏はどうなることやら? 昨日雨が降り、今日は5月らしい気温に戻った。空気も澄んで気持ちが良い。 が、山の中は乾ききっていないであろうと考え、目的地は控え目に岐阜県多治見市の筒小屋展望台に決めた。 |
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庄内川に架かる瀬戸市の鹿乗橋から愛岐道路、県道15号線をフルスロットルで東へ進んだ。 青葉が茂り気持ちが良い。幸い後続車も無く快調に走れた。 岐阜県に入り、市之倉の三叉路交差点を右折。急勾配の坂を上って行くと、目指す展望台のサインがあった。 |
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その後、住宅街の要所要所にサインがあり、迷わず到着。 10:14 神社の参道脇に駐車し、参道を駆け上がった。 |
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間も無く尾根に到着。そこに小さな神社があった。 神社横の尾根伝いに整備された小道の階段を上った。 |
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10:18 筒小屋展望台へ到着。 アッと言う間で、嬉しいやら悲しいやら。 視界は岐阜県側のみ。ちょっと残念。 |
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左から、白山、御嶽山、北アルプス、笠置山、中央アルプス、核融合科学研究所、御嶽山が見渡せる。 白山って、石川県まで見える? しかも、この方向に。と言う事は、南へ30°ぐらい方向感覚がズレている。気持ち悪い。 |
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お〜、見える、見える。雪を湛えた連峰が。 良い日に来た。 |
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目の前には、先ほど通り抜けて来た市之倉ハイランドの住宅街。車が無いと生活が難しそう。 山から突き出た白い建物は、土岐市の核融合科学研究所。 あそこの職員食堂「レストラン土岐っ子」にも行ってみたいが、土日休みなんだよな。 |
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この展望台は初日の出のスポットだった。 市之倉ハイランドの住人達が集まるのだろう。 我家からは、ビルが邪魔して山影からの日の出は拝めないが、この展望台辺りから昇っているかも知れない。 |
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ポイ捨て禁止!ポスターと同じアングル。 正面に、鉄塔が何本も見える。あれが三国山だろう。 |
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10:45多治見市の中華そば「味軒」へ到着。開店まで15分もある。歩道橋の下の日陰で待機。 この店、前々から気になっていたが、初訪問。 「鍋焼きスパゲッティ」なるメニューがあり、遠方からの来店もあるとの情報で、一気にヒート。 しかし、中華そば屋さんなので、初回はランチの半ちゃんセットと決めて来たが、ランチメニューが出ておらず! |
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それならば、と言う事で、鍋焼きスパゲッティセット880円をオーダー。 鉄鍋がグツグツ煮え滾った状態で登場。思ったより小振りで心配したが、深さがあり適度な量。 ギッシリ入った玉子が段々固まって行き、最後は茶碗蒸し状態。これは鉄板ナポリタンの上を行く! カウンターの上には、ウド鈴木、内山信二、アフロ副島らのサインが並んでいた。 |
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2023.5.27(土) 人工物が無いので気分が良い。サインも無い点は要注意 |
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犬山市の山中に見つけた蓑岩と大洞池へ行ってみることにした。 いやいや、今回も主目的は食べる方。 結果は、どちらも満足。良い一日だった。 |
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9:23 県道186号、御嵩犬山線を東へ向い尾張パークウェイの下を潜り1つ目の信号を左折。 善師野駅を右に見て名鉄の踏切を越えると、常夜灯が現れた。 善師野は元々中山道の宿場町だった。後に木曽街道、別名上街道の宿場町になった。 往時は街道を行き来する旅人の宿泊や荷物を運ぶ人馬の中継などを、代々日比野家を中心に運営して来た。 お〜っと、高校の恩師・日比野先生は善師野の方だった。立派な出自だったんだなぁ。 |
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残念ながら、宿場の面影は無かった。しかし、禅寺が多く残る。 常夜灯から北へ50mほどの場所にあった禅徳寺。文明6年(1474年)創建。 明治時代の教育文学者、文部省唱歌「田舎の四季」の作者・堀澤周安の菩提寺。 江戸時代に街道の一里塚として植えられた、樹高27m、幹回り3.6の大木が聳える。樹齢推定200年! |
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参道に石仏像が並んでいた。 一番大きなものに、元禄11年(1698年)と刻まれていた。 325年の風雪で姿も随分変わってしまった。 木曽街道沿いには、石仏や道標が数多く残っているそうだ。 |
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9:35 遂に道が無くなった。 少々不安だが、ここに駐車し散策開始。 |
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田圃の脇道から本筋のウォーキングコースを目指す。 |
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9:40 蓑岩の横を通過。 木が鬱蒼と茂り、岩も想像を遥かに超える大きさで、気付かず通り過ぎた。 |
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少し進むと、岩の足元に着いた。 常夜灯で遭ったおっちゃんに再び遭遇。おっちゃんは、20年振りぐらいに来たとの事。 曾ては、10年かけて百名山を踏破する計画を立てたが、20ぐらいで棒を折ったとか。 健康のため、愛知・岐阜・三重の山を歩いている。 早く進んで、早く戻りたかったが、おっちゃんが饒舌で、、、 |
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犬山市文化遺産活用実行委員会発行の「犬山たび」街道の巻によると、 この巨岩は、古くからの磐座であると考えられている。 磐座とは、日本に古くからある自然崇拝の一つで、岩に対する信仰や信仰の対象となる岩そのものを指す。 「尾張名所図会」にもその姿が描かれている。 確かにそんなパワーを感じる。 |
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岩の裂け目に小さな祠がある。 |
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愛嬌のある仏像が祀られていた。 「蓑岩」のサインは、道中も含め只の一ヵ所も無かった。 |
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蓑岩から50mも進むとエメラルドグリーンの水を湛える大洞池がある。 小魚が群れになって泳ぎ回る。 昔は食用ガエルが多かったとか。 |
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人工物が無いので気分が良い。 |
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ハイカー大勢集まり、ロープの結び方を習っていた。 おっちゅん曰く、今日はハイカーが多くなるらしい。確かに、そんな予感がする。 |
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寂光院方面に進むと、尾張と美濃の国境の石拾い峠。 険しい峠で無事安全を祈って石を拾い、峠を通過して石を置いたと伝わる。 目的を達成したので石拾い峠に向かうおっちゃんを見送りUターン。 おっちゃんの言った通り、善師野駅前にハイカーが大勢集まっていた。 |
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10:21 木曽川に架かる岐阜県可児市の太田橋に到着。 旧R21、旧248。1983年(昭和58年)、上流に新太田橋ができ国道のルートが変わった。 風情があって好きな橋だが、国道だった頃は混雑してイライラしたことを思い出す。 主構に棒材を両端で繋いだ三角形を多数組み合わせた構造のワーレントラス橋。大正15年(1926年)竣工。 車道橋は岐阜県初の近代的道路鋼橋で、土木学会選奨土木遺産に選定されている。 |
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橋の袂は、今渡の渡し場跡。 そう、ここは旧中山道。 |
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太田橋を渡り、美濃加茂市の中之島公園に駐車し、木曽川へ下りた。 河川敷には1900万年前の大地が広がる。 公園内の RIVER
PORT PARK MINOKAMO では、ラフティングやBBQ、カフェなどが楽しめる。 |
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一角には、石碑。達筆で、一部しか読めず。 |
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太田の渡しから今渡の渡しを望む。 中山道の難所の一つとして「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と謳われた。 渡船場跡は1927年(昭和2年)に太田橋が開通するまで使われた。 大正天皇崩御により渡橋式が延期されるドラマもあった。 |
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10:58 加茂郡坂祝町、旧R21県道207号線沿いの一億へ到着。 ウドちゃんが教えてくれた焼肉屋。 そうは見えない佇まい。開店の11:00になったが、暖簾も出ない。 恐る恐るドアを開けると、TVで見たお兄ちゃんが笑顔で「いらっしゃいませ」と迎えてくれて安心した。 |
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一番に入店し、「焼くか焼かないか?」と聞かれ、「焼く」と答え席に案内された。 その後のやり取りで、彼の意図に沿わない回答だったことが分かり、席替えかと質問。それは無く着座。 一応メニューに目を通し、予め決めていたカルビ定食770円をオーダー。 噛み合わなかった所は、1人で定食だけの場合は焼いて出すシステムだったことによる。 肉を追加すると、自分で焼くことに変わる。確かにその方が効率良いよね。 |
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来たー!味はバッチリだが、ちょっと少ない。 カルビ定食を完食してから、中華そば370円を追加。今では寿がきやよりも安い驚異の値段! 少し値上げしてでも麺のグレードを上げると、断然美味くなると思う。 お勘定の際に、ウドちゃんも食べたことをお兄ちゃんが囁いた。そう、それが今日来た決め手だったんよ! |
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11:50 猿啄城展望台の足元へ到着。 標高275.3mの勝山山頂に天守閣?と見間違うほど屋根が良く出来ていて面白い。 室町・戦国時代の城。別名猿ばみ城、猿飛城、勝山城。 永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、川尻鎮吉が城主となり地名を勝山に改めた。 天正2年(1575年)、河尻秀隆が岩村城に移り、廃城となった。 |
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麓までは進めたが、第2駐車場先の殆ど高度が変わらぬ所で前進不可能になった。山頂まで30-40分と言う。 腹ごなしには良いし大型バイクも停まっていたが、ここに駐車して登山するのは心配なので今回は見送り。 五代目食堂を横目に県道207号線を鵜沼へ向い、犬山橋を渡って家路に着いた。 五代目食堂は相変わらず繁盛していた。営業していて良かった。 |