トコトコ中国バスの旅

 

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Update : 2025.12.21

 

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My Collection Monkey 訪問地 美食

 

【旅日記】

 

2025.7.19(土) 「知らなかった」と聞こえて来たが、私も知らなかった

先週は豪雨だった。それが明けると、猛暑復活。

 

近場に何かないかと探してみると、「睡蓮」がヒット。

 

場所は東名高速・春日井ICから北東へ2km弱。潮見坂平和公園、墓地の入口。

10:55 蓮の池へ到着。

 

「知らなかった」と聞こえて来たが、こんな近くに、こんな所があったとは私も知らなかった。

 

考えてみれば、極楽浄土の入口として、この場所にはピッタリ。

八つ橋が架けてあり、良く見える。

 

蓮と熱帯睡蓮が咲いているそうだが、、、

 

睡蓮

510月開花、水面に浮かぶように咲く。花弁が細く尖っている。葉に切れ込みがあり、水面に浮く。

・花色が赤やオレンジ、青、紫など豊富。

78月開花、水面よりも高い位置に花をつける。葉も水面から飛び出、撥水性が高く水が玉なって乗る。

・花色は白とピンクが殆ど。朝に咲いて昼には閉じる。

 

ビッシリ咲いていて、目に付くのは蓮ばかり。

咲いていて良かった。

 

茎の蓮根は偶に口にするが、中国の友が実を好んで食べていたことを思い出す。

11:25 Book-off経由でJR春日井駅近くの「めし太郎」へ到着。

 

工事の足場が見えたので心配したが、営業しており良かった。

オーダーは、おろしトンカツ定食 780円。コスパ、バッチリ。味もバッチリ。味噌汁は抜群に美味かった。

 

だし巻・豚汁のランチと迷い、トンカツに決めて暖簾を潜ると先客3名。近所の老人らしい。

毎日来ているんじゃないか?近所に住んでいたら仲間入りだなぁ。

 

店内には手書きのメニューが所狭しと貼ってあり、読むだけで楽しい。次回は絶対に豚汁。

 

2025.7.26(土) 目的は達成できなかったが、得たものは大きい

連日35℃を越える茹だる様な暑さが続いている。

 

読書に耽るかと弱気になったが、「ここを逃すとお目に掛かれないかも」と思い直し出発。

 

目的地は、大口町ひまわり畑。難無く到着したが、その姿が無い!

 

有る筈の場所は、大型重機で整地されつつあった。あ〜、遅かったか。残念。

11:15 這う這うの体で、「さち」へ到着。やってて良かった!

 

喫茶店かと思う外観だが50年以上続く老舗。老夫婦が営む。

 

先客がカウンターに1名。勧められたテーブルに着いたが、どんどん客が増え、1卓占有は気が引ける。

 

オーダーは、焼きそばの肉玉大盛り 680円。玉子は、目玉か混ぜるか選べる。

出来上がりを待つ間に、セルフサービスのおでんをつまむ。

 

どれも 90円と良心的な設定。他にも、ちくわ、こんにゃく、、、種類も豊富。大根は厚さ5cm級!

 

味噌壺にどっぷり浸して食す。

 

期待通り美味い!これは病み付きになりそう。

大盛り焼きそばは、山盛り!ソースは控え目。足りなければ、テーブルのソースで各自調整。

 

お好み焼も同じ値段。気になる。

 

少々遠いがチョイチョイ通いたい。

 

2025.9.27(土) ノスタルジックで実に面白い所だった

猛暑続きだった今年の夏が漸く終わりに近付き活動再開。

 

手始めは、中々行けなかった日進市のレトロでんしゃ館。

10:07 レトロでんしゃ館へ到着。

 

R153沿いの名古屋市交通局日進工場北側。

正門の横には、巨大なシールドマシンが飾ってある。

 

地下鉄4号線本山北工区土木工事で実際に使用されたもの。

 

上り線と下り線を同時に掘ったそうだ。

 

カッターに触ることができる。

想像よりもずっと小振りな建屋で少々ガッカリ。

中に入ると、この風景でテンションが上がった。

 

市電1400型(1421号車)

昭和12年(1937年)に開催された汎太平洋平和博覧会の乗客輸送のため製造された。

昭和11年から6年間で75両製造。昭和493月の市電廃止まで標準型として活躍。

 

懐かしい!

木製の床、ふわふわのシートクッション、上下スライドの窓。幼少の頃の記憶が蘇る。

運転席はシンプル。

 

昭和37年(1962年)の運賃は15円。現在の貨幣価値では500円。高かったんだ。

縦横無尽に走っていた。

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最終日には無料のサヨナラ電車が走った。

他にも色々な場所で展示されている。

1200型半鋼製ボギー車 1/5模型

 

昭和2年製造。木製3段ステップから半鋼製2段ステップの低床化。

中央出入口、プレーンアーチ型屋根の当時としては画期的なデラックス車。

2次大戦後は港車庫系統で活躍。

 

名古屋市交通局西町工場で作成・保存されていたもの。良く出来ていた。

名古屋の街がギュギュっとまとめられたジオラマ。

一部の車両は走らせることができる。

 

CGのバスや地下鉄車両を、好みの色や柄でオリジナルデザインのペーパークラフトにするコーナーもある。

地下鉄100形(107108号車)

 

昭和32年の名古屋市営地下鉄開業時に名古屋-栄町間を走った。

 

ボデーカラーは画家の杉本健吉が「暗い地下をウィンザーイエローで明るく走り抜ける様に」と選定。

 

これは記憶に新しい。

昭和43年には、市電大津橋-金山間の路線廃止を記念して、レールを文鎮にして販売。1,300円。

 

気になる。

東山公園のモノレール。あった、あった。

 

昭和39年〜昭和51年に活躍。

 

近未来的だった。

駅員がパチパチ空打ちしていた姿を思い出す。

市電は25種類以上あったそうである。

上飯田で一人乗り遅れそうになったなぁ〜。結局、置いて行かれたのかも?

街の写真は興味深い。

いや〜、実に面白い所だった。

10:53 国登録有形文化財の旧市川家住宅へ到着。

 

野方村の庄屋を務めた市川藤蔵家の住宅。明和6年(1769年)に分家独立して現在地に屋敷を構えた。

駐車場からは、先ず庭園を横切る。

主屋は、分家独立時に植田村の庄屋宅を移築。宝永6年(1709年)の年記がある墨書が発見されている。

土間境の柱を含めた上屋柱四本を梁で繋ぐこの地方独特の「四つ建て(鳥居建て)」。

 

間取りなど、数段階の変遷があった跡や墨書、古絵図の記録が残っている。

奥納戸に竹灯籠が飾られていた。

 

市が管理されており、草取りをしていた人が色々説明してくれた。

11:10 新楽へ到着。

 

食べログで見つけた大陸系中華。珍しいメニューとリーズナブルな値段に惹かれた。

 

オーダーは、麻辣麺と叉焼搾菜丼。セットで900円。

 

「辛いけど大丈夫?」と中国人のオバちゃんに確認された。

お〜、真っ赤!

 

良く掻き混ぜ、麺をすする。その瞬間に、噎せた!咳が止まらない!久々。

 

これは本物。ヒーフー言いながら、噎せ続けつつ、麺と具は完食。思い出すと汗が出る。

 

味はほぼ分からずスープは大部分を残したが、本物は貴重。

叉焼搾菜丼は初体験。少々ビビリながら一口目を投入。美味い!

 

叉焼も搾菜も、しっかり味が分かり、タレがまた良かった。

 

大きな丼にガッツリ入っているのも嬉しい。

 

このご時世にご飯お替り無料。しかも、何杯でも。米も美味かった。凄いな〜。

 

2025.10.18(土) 日本三大仏は穏やかな大顔だった

酷暑は去ったが、休日に雨模様となり残念な週末が続いた。

 

天気予報によると、日中は曇り。この良い時期に、曇空は冴えないが雨が降らないなら良いと思い出発。

 

目的地は、岐阜市の岐阜大仏。日本三大仏の一つと知り興味が湧いた。

9:40 岐阜市の焼豚ジョニーへ到着。

 

足立、福井、高山、店舗前駐車場には遠方ナンバーが並んでいたのは偶然?必然?

 

目的は7:00-11:00だけ特別価格の朝ラー。よって、ここに直行。

 

こんな時間から店内はほぼ満席。

オーダーは、醤油焼豚ラーメン500円+大盛100円。コスパ最強。11:00以降はラーメン900円。

焼豚で麺が見えない!薄いがトロトロで美味い。細麺をチョイスしたが、思ったよりも太かった。

 

店内には、名古屋の有名所ラーメン店主達のサイン色紙がズラリ。

「うまい!」の添え書きがあったが、そこまでは、、、しかし、朝ラーならまた来たい。

 

分厚い焼豚の焼豚玉子定食やトンテキ定食も食べてみたい。どちらも900円。

出発しようと思ったら、ガソリンがポタポタ漏れていた! ガレージが最近ガソリン臭いのはこれだったか。

タンクに穴?参ったなぁ〜。とは思うものの、旅は続行。

 

10:10 加納城跡へ到着。

 

慶長7年(1602年)、徳川家康の天下普請により築かれた平城。江戸時代に加納藩藩主家の居城となった。

本丸の石垣が残っている。

加納城は2重の堀を持つ南北に細長い城だった。

大手門は北側の中山道に面しており、大手門前で屈曲する構成になっていた。

 

内堀は本丸を取り囲む形で配置され、北堀からは障子堀が見つかっている。

外堀は東側が荒田川、北側が清水川、西側が長刀堀。水に囲まれた城だった。

 

主要部分は本丸を中心に、東に二ノ丸、北に厩曲輪・三ノ丸、南に大藪曲輪があった。

城下町・加納は、東に配置された武家地と、北側にある中山道53番目の宿場である加納宿だった。

 

加工に適さないチャートが石垣に使われており、味がある。

10:33 JR岐阜駅北側、信長ゆめ広場・黄金の織田信長像へ到着。

 

マントを羽織り、右手に西洋兜、左手に火縄銃。

 

岐阜市制120周年を記念して平成21年(2009年)に「信長公の銅像を贈る会」が設置。

 

台座を含め高さ11mの巨大像。信長自身は3m

10:50自称「日本三大仏」の正法寺へ到着。大仏殿左肩に岐阜城が見える。

 

日本三大仏のうち2尊は、奈良・東大寺の「奈良の大仏」と鎌倉・高徳院の「鎌倉大仏」。

残る1尊は京の大仏の喪失以降は定説が無い。

 

戦後以降は、富山高岡・大佛寺の「高岡大仏」、神戸・能福寺の再建された2代目の「兵庫大仏」、

そしてここの「岐阜大仏」など諸説あるそうだ。建物は、明朝様式と和様が融合した江戸時代後期のもの。

デカイ!座高13.7m。江戸時代後期に、塑造・漆箔により造立された国内最大規模の籠大仏。

 

胎内仏として、平安時代後期に桧材を用いた一木彫成の薬師如来坐像が安置されている。

 

11代惟中和尚と、第12代肯宗和尚の二代に亘る約38年の歳月を費やし、 天保3年(1832年)開眼。

 

大仏前の仏像は、平安時代の後期に桧の一材から作り込まれた木造阿弥陀如来坐像。

賓頭盧尊者。病を治す「撫で仏」。

 

入口の脇に安置されている。

大仏の周りは江戸時代中期に造られた五百羅漢像が取り囲んでいる。

ガイドがツアー客を引き連れて入って来た。

 

様子を見ていたらガイドを始めたので立ち聞き。

 

しかし、受付で拝観料200円を払った時に貰ったパンフレットのほんの一部を話しただけで自由参観に。

 

まぁ、そんなもんか。

大仏は、胎内骨格を木材で組み、竹材を編んで外形を作り、上に粘土を塗り、惟中和尚が各地で集めた一切経を貼り付け、漆と金箔を重ねて仕上げ穏やかな表情や大きな手を作り出している。

 

背面には「大真柱」と呼ばれる周長6尺(直径約57cm)の銀杏の木の柱を建て、台座から胎内を通して大仏殿第3層の下部まで垂直に立てて支えている。

大仏殿の骨格模型も興味深い。

大仏の周囲を巡る回廊は、年末に“煤払い”のニュースで見掛ける。

 

これは他の大仏殿には無い特殊な形態。

 

朝一から面白い体験をした。しかし、ガソリン漏れは困った。

 

2025.11.8(土) 美濃加茂寺巡り

ガソリン漏れはタンク先端の溶接部分からだった。削った様な断面の中心に「−」が見え、溢れ出していた。

交換を考えたが気に入るものを見つけられず、「切って、練って、埋めるだけ」の金属用エポキシパテで修理。

広く貼り付けたが、相手は液体なので結果が心配。

 

紅葉の声が聞え始めたので、北へ向った。

先ずはガソリンスタンドで給油。どうやら漏れは止まった様子。これでひと安心。気持ち良く出発。

10:33 岐阜県美濃加茂市の正眼短期大学へ到着。

 

この地を知行所とした旗本・伊深陣屋主の佐藤家甲冑が常設展示されているとのことたが、見つけられず。

 

直前、県道63号線を全開で快調に走っている最中に突然エンスト。拙い。

200m程先の安全な所まで地面をキックして前進。この間、どうやって帰るか思案。

気を取り直してペダルをキックすると、あっさり掛かった。キャブの問題だったのか?まぁ、復活して良かった。

10:38 大学から山奥へ向い、正眼寺へ到着。

 

元徳2年(1330年)に開山した古刹。臨済宗妙心寺派の派祖・ 関山慧玄が、諸国行脚の途中9年間滞在。

妙心寺の「奥の院」とも呼ばれている。

 

厳格な禅道場として知られる。

現役時代の川上哲治をはじめ、王貞治、星野仙一などのスポーツ選手、政界・財界人など数多くが座禅修行。

長い石段の先に立派な山門がある。

 

山門の正面が本堂。

 

本堂前に、樹齢300年と推定され、市の文化財に指定されたしだれ桜がある。

「修行僧がおられますので、許可無く建物内に入らないようお願いいたします。」とのこと。

 

お経を唱える声が聞えるが、姿は見えず。

奥に立派な襖が見えた。

鐘楼も立派。

紅葉の見頃はもう少し先。

10:51 龍安寺へ到着。

 

17世紀の後半、かつてここにあった永安寺の跡地に再興された。正眼寺の4隣寺の一つ。

 

建立は約300年以上前とされ、鐘楼門は総欅造りの近在に類を見ない造型。

鐘楼門にかかる青銅製の「鴻鐘」は、享保15年(1730年)に近くの卜雲寺の寺領から掘り出されたもの。

 

梵鐘の銘文に、南北朝時代末期の至徳元年(1384年)に美濃源氏系統の土岐義行から永安寺に寄進されたことが刻まれている。

壁際に往時の鬼瓦が並べてあった。

 

期待していた龍の舞う襖絵や大きな屏風、風光明媚な庭園は、京都の同名の寺だった。

11:07 清水寺へ到着。山門横を流れる硯川畔は「清水谷公園」として整備され、新緑や紅葉時は賑わう。

 

京都の音羽山清水寺と同じく、坂上田村麻呂の開基、延鎮大師の開山と伝わる。

元来は真言宗だったが、江戸中期頃に臨済宗妙心寺派の末寺となった。

 

山門は、両脇に仏法の帰依者を護るという四天王のうち、持国天、増長天を安置する二天門。

鎌倉時代様式の軒唐破風が優美な2階門。

山門を潜ると、グングン登る。

 

この坂は、愛知県尾西市の信者によって登りやすく整備されたことから「尾西坂」と呼ばれる。

 

周囲には老樹が茂る。

鐘楼に野猿!

寛文年間(1661-73年)に再興された本堂。

 

平安時代中期の作の本尊の木造十一面観世音菩薩坐像と坂上田村麻呂像が安置されている。

 

京都・清水寺の「音羽山の滝」の如く、本堂右の絶壁から「白華山の滝」が流れ落ちている。

本尊は国指定重要文化財。

 

観音像としては珍しい結跏趺座の坐像。大正14年(1925年)に国宝指定され、現在は国の重要文化財。

 

木地の上に黒漆を塗り、その上に赤漆を塗り、それに金箔をおいたもの。

 

一般公開されておらず。毎年「お施餓鬼(99日)」の午前11時にご開帳される。

閉ざされた本堂の扉に隙間があった。

 

もしやと思ったが、本尊は写真だった。

野猿がこちらの様子を伺いながら日向ぼっこ。

 

最近あちこちで荒らし回っている熊でなくて良かった。

11:36 別格 龍雲山 瑞林寺へ到着。別格寺は江戸時代に将軍に拝謁を許された寺院。

 

室町後期の文明年間(1480年頃)に美濃国守護の土岐成頼から50貫の寄進を受け開山。

 

別名「柿寺」。

特産の蜂屋柿の干し柿を10代将軍足利義植に献上したところ、寺領10石と「柿寺」の称号を与えられた。

山門は、切妻、鯱付き本瓦葺き、一間一戸、四脚門。

 

立派な龍の彫り物が横たわる。

鐘楼の屋根も立派。

 

本堂は木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、平入、桁行9間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。

 

寛政6年(1794年)、そこに上げられていた鬼瓦の大きなこと。

 

内陣には室町時代中期の作の本尊、聖観音像が安置されている。

本尊内部には、ハラゴモリ仏と呼ばれる胎内仏が入っている。

 

7年に一度の御開帳に限って拝むことができる。次回は、2032年春。

 

この寺には、末寺の大興寺に安置してあったものを復元した蜂屋大仏と呼ばれる「木造弥勒仏坐像」がある。

 

戦国時代に織田信長が攻めてきた際に、首を抜いて土中に埋めたとの伝説が伝わる。

西の墓地には、中世から近世にかけて建てられた身分の高い人の墓碑「無銘宝篋印塔」がある。

 

南北朝期の様式を備えて、ほぼ完全な形で残っている。

最上部の相輪部を欠き、宝珠が失われているが、相輪部分にある花形の請花や伏鉢に初期の様式が残る。

 

塔身の梵字は薬研彫り、基盤の逆花は楕円形、格狭間の蓮華文は深く彫られている。

 

他に「和翁長礼」銘の室町時代前期のもの、「文明十年戊戌十月十三日 寿岩正慶首座」銘等のものがある。

11:55 前平公園へ到着。

 

美濃加茂市の紅葉スポットとの情報でやってきた。

 

途中に数段スピードブレーカーの付いた大きな滑り台があった。勢い良く滑ると、ショックが大きそう。

見頃はもう少し先。

小さい所だが、散歩するには丁度良さそう。

12:25 中華園へ到着。

 

随分前に発見し、ホールドしていた。

 

外観は勿論、内部も昭和の風格。特に、店内は中華料理屋らしく油でギトギト。堪らない!

 

玄関脇には食品サンプルもあった。

オーダーは、迷わず焼肉飯700円。

 

大きな豚肉が3枚。下に野菜炒めが隠れていた。ご飯は、地元米。

 

メチャクチャ美味かった!この店、大当たり。

 

次回は、肉ダンゴ定食950円かな。しかし、ラーメン500円、焼肉メン700円の謎も解明したい。

12:56 逍遥公園へ到着。

 

太田本町出身の坪内逍遥の顕彰碑がある。

 

早稲田大学の講師となり、「小説神髄」「当世書生気質」等を発刊し、近代文学の礎を築いた。

 

その後、文芸協会での新劇運動やシェークスピア作品の全訳など数多くの業績を残した。

美濃太田駅前には銅像がある。

 

太田宿には見所多数。

13:02 虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡へ到着。

 

中山道を西へ向かう時の太田宿の出口。ここから段丘を下り、木曽川沿いを進み、京を目差した。

 

虚空蔵堂は旅人の休憩所や旅の巡礼が宿泊したとも言われている。

 

坪内逍遥が、かつてよく遊んだといわれ「逍遥ゆかりのムクの木」がある。土手の向こうは木曽川。

西の犬山方面。

 

鎌倉時代、承久の乱では、藤原秀康を総大将とした朝廷側と北条泰時を総大将とした鎌倉幕府軍が激戦。

 

朝廷側が美濃加茂市太田、幕府軍が可児市土田。

東の太田橋方面。

 

こちらからの眺めも良い。

13:14祐泉寺へ到着。

 

ここも臨済宗妙心寺派の寺院。美濃西国三十三観音霊場第27番札所。

 

室町時代文明6年(1474年)、臨済宗の名僧、土岐頼政次男・東陽英朝禅師の湧泉庵建立が始まり。

 

16世紀初め、八百津の大仙寺の末寺として祐川庵と称し、17世紀後半(寛文年間)に祐泉寺と改称。

本尊は聖観世音菩薩。

 

ここも7年に一度御開帳。次回は、2032年春。

本堂西の瀧場観音堂。

 

東陽英朝の夢枕に「木曽川の松ヶ瀬に沈む聖観音を探し揚げて祀られよ。木曽川の安全と火伏の守りとならん」とのお告げを受けて、村人が早瀬の水から引上げて堂宇を建立し、瀧場大悲閣と称し境内に祀った。

 

300年ほど前、太田宿の西から出火した火災で宿内はことごとく焼失したが、当時、境内西南にあった観音堂の前で鎮火したと伝えられ、以来、火伏の観音さまとして親しまれている。

 

2025.11.15(土) 紅葉巡りには早過ぎた

最近の天気予報は紅葉の話題が多い。それに乗せられ、ルート設定。

 

今週も、中心はやっぱり昼食。

 

出掛けに給油。ノズルからタンクに垂れたガソリンを拭っていたら、カブのタイヤに空気を入る姿が見えた。

 

それを見て私も。なんと、随分減っていた!最近の乗りっ放しを反省。

10:25 みよし市の石川家住宅へ到着。

 

三好、莇生、明越の3村が合併した新三好村初代村長の石川愛治郎が明治43年(1910年)に建築。

 

次男・正雄の分家であり、愛治郎が晩年、隠居し暮らした住宅。

長屋門や主屋、西蔵は、建築当初の雰囲気を色濃く残している。

 

後の所有者が平成23年(2011年)まで居住し市へ寄贈。

オッチャンが待ち構えており、丁寧に説明してくれた。

明治時代末期の建築ながら、伝統的な日本家屋であり、みよし市周辺の一般的な民家としての様相を持つ。

 

一方、長屋門や主屋各所の造作、座敷などに地域の有力者の住宅としての一面が垣間見える。

実家を思い出す佇まい。

102間の離れ。

 

集会や冠婚葬祭が行われた模様。

庭も立派。

 

例年なら赤く色付いていている頃だが、今年は夏の猛暑で葉先が傷み様子が違うとのこと。

 

春は桜が咲く。また行ってみよう。

11:00 ふるさと会館 鶴駕苑へ到着。

 

勤労文化会館「カネヨシプレイス」に併設。

 

日本庭園を眺めながらお抹茶を堪能できる。

 

和菓子付で一服450円。

茶席はスルーして庭へ。

ご立派。

11:15 時間調整のため、対面の保田ヶ池公園へ立ち寄った。

みよし市は、「カヌーのまち」として有名。

 

中学生は全国中学生カヌー大会、高校生もインターハイ、国体で毎年多数優勝、入賞。

 

三好カヌークラブからは毎年日本代表として世界大会にも出場。

この池には、カヌーポロ競技場が整備されていた。

11:30 御食事処「かぎや」へ到着。

 

ピッタリだと思ったら、昼営業は11:45からだった。

 

待つ間も無く、引き戸が開いてオバちゃんが暖簾を出した。ラッキー。

オーダーは日替り定食600円。

 

久々に桶に入った寿司。本物の寿司屋のカウンターで、この値段で本物の寿司が食べられ感激。

 

子供の頃、量に満足できず寿司は好きでなかった。何と罰当たりな事か。

 

日曜・祝日のランチタイムにも提供している様子のすし弁当900円も気になった。

12:52 瀬戸市の常光寺へ到着。

 

豊田市の大井橋からR248を北上。瀬戸川を越え、県道207号線をそのまま直進。

 

あとは道なりに行けば良いと思っていたら、ミスコース。山の中の道は難しい。

 

紅葉目当てに大回りして来たが、まだまだ。葉っぱを見ると、ここも随分傷んでいた。綺麗に色付くのか?

公園もまだまだ。

 

9%の急販路を下り、今度は庄内川沿いの愛岐道路を北上。

 

対岸の愛岐トンネル群は所々色付いていた。今年の秋の特別公開は、11/29()12/7()

13:23 JR古虎渓駅から山に入り内々神社へ到着。

 

銀杏が良い時期を迎えていた。落ち葉の中に拾われない実が多数。よって、臭う。

 

実益を兼ねて拾い集めたかった。

神社の庭園も色付きはこれから。

トンネル公開の2週間先が見頃か。

ここの彫り物も素晴らしい。

 

兎、亀、獅子、鳥、龍、力神・翁、様々。

 

2025.11.22(土) 秀吉ゆかりの地へ

来年の大河ドラマは『豊臣兄弟!』。と言う事で、秀吉ゆかりの地へ。

 

 

9:50 名古屋市西区の円頓寺商店街東口へ到着。

 

円頓寺の門前町として庶民に親しまれた名古屋で最も古い商店街。

「清洲越」により城下町が造成され、明治20年代(1890年頃)商店街が形成された。

 

名古屋高速が走る江川線までの東側の商店街は、11:00までは自動車も通行可能。西側は終日NG

商店街の様子も東西で違う。東は洒落た飲食店が多いのに対し、西には風情が残る。

江川線の円頓寺交差点には、三英傑と水戸黄門の像がある。

 

地元の不動産賃貸業のオッチャンが、平成25年(2013年)に寄贈したもの。

 

東北に立つ織田信長は、やっぱりゴールド。

東南に座った豊臣秀吉は、シルバー。

 

今年の8月に首が折られているのが見つかった。

 

「何者かが故意に壊した可能性があり、、、」って、強化プラスチック製らしく自然にはこうならないわなぁ。

 

修繕のための寄付は集まったのか?

西北には徳川家康が、あのポーズ。

 

武田信玄にコテンパンにやられた「三方ヶ原の戦い」で、うんこを漏らしながら浜松城へ逃げ帰った姿。

 

「これはクソではなく、腰につけていたミソだ」と言うほどの、たぬきオヤジだったとか。

西南の水戸黄門は異彩を放つ。どう見ても場違い。

 

苦し紛れか、不動産屋のオッチャンの趣味か?

 

唯一被害を受けている秀吉は、恨みによる犯行か?

 

信長も腕を捥ぎ取られ、その前には家康も被害に遭ったことがあるそうだ。

西側の本町商店街はエンジンを切って前進。

 

久々に足を踏み入れたが、相変わらず昭和の懐かしい雰囲気が色濃く残り、とても面白い。

レトロな看板の前に発泡スチロールや竹などでできた金のシャチホコ像が鎮座。

 

信長の事件と同じ頃、このヒレも切断の目に遭ったらしいが、それは事故かもね。

10:15 中村区の中村公園へ到着。

 

大鳥居の聳え立つ太閤通はチョイチョイ通ったが、ここまで入り込んだのは初めて。

 

その大鳥居、名古屋市緑政土木局によりと「所有者不明の物件」とのこと。

豊国神社前スクランブル交差点より。

 

明治16年(1883年)、当時の県令国貞廉平をはじめ地元崇敬者の人々による運動で創建が決定。

2年後に創建されたが、県令死去により以降の工事は中止。

明治34年(1901年)開園の中村公園の一部に含まれた。

 

なんだかな〜。近隣の環境からも政治的な胡散臭さを感じる。

祭神は豊臣秀吉。

 

肖像画があった。

社殿東側の「豐公誕生之地」の碑。

 

生誕地は諸説あるらしい。

庭園は見応えあり。

東に隣接する常泉寺へ移動。

 

秀吉の死後、慶長11年(1606年)に加藤清正が圓住院日誦上人を開山に招き、豊国大明神廟堂として創建。

 

寺名は秀吉の誕生当時、類のない清水の溢れる井戸があったことから定められた。

参道は趣あり。

御神体は、木食興山上人彫刻の長さ二尺余りの豊臣秀吉の束帯唐冠像。

 

当初は大坂城に置かれていたものだが、清正が豊臣秀頼に願い出て譲り受け、当地に奉った。

 

元和元年(1615年)夏、廟堂から出火。殆どの建物が焼失。

豊太閤産湯の井戸。

 

昭和40年代(1970年頃)、市の発展に伴う地下水の変動を受け、清水湧き出るこの泉が枯れてしまった。

 

平成に変わる頃、清泉が蘇り今もこんこんと湧き出している。

 

秀吉が11歳の時に植えたと伝わる柊が境内にある。

常泉寺の南に建つ妙行寺へ移動。

 

ここは、加藤清正の出生地と伝わる。

 

創建時期は不詳。永仁2年(1294年)に220mほど東から移転したと言うから古い。当時は別名。

 

火災により焼失したが、天文4年(1535年)に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建された。

武将隊に遭遇。七五三参りか?

加藤清正は元々妙行寺の近くで生まれ育ったとされる。

 

慶長15年(1610年)に名古屋城築城の際、余材を使い妙行寺を自分の生誕地に移築・再建したとか。

 

清正の菩提寺、熊本の本妙寺とは深い関わりがあり、江戸時代後期には尾張国の清正公信仰の中心だった。

毎年724日に、清正公御正當大祭が催されているそうだ。

秦鼎の撰文「清正旧里之碑」がある。

10:45 太陽食堂に開店を待つ行列。

 

気になるがスルー。・・・ と、 ここまでは良かったが、この後悲劇が!

 

大鳥居を潜り左折。太閤通を東へ進み、広小路通へ入った辺りからエンジン不調。

 

納屋橋を渡った所で遂にエンスト。仕方なく、広小路通からプリンセス大通を押して移動。

11:29 ダンラン亭へ到着。

 

ガ〜〜ン、やってない!不定休とのことだが、土曜日に閉まっているとは、、、止めちゃったかも??

 

サーロインステーキを目指して押して来たのが水の泡。あ〜残念。

 

1年前と同じく、随分押した。今回はIGアリーナでギブアップ。30分程度で救援車が来てくれて助かった。

 

2025.11.29(土) いい肉を求めて

今年もいい肉の日がやって来た。候補は多い。

 

モンキーも復活したので、その中から厳選しルート設定。

 

息絶えた原因は、修理したばかりのポイントだった。

10:29 入鹿池を通過。

 

紅葉真っ盛り。

 

自衛隊の事故処理も終わり、日常が戻っていた。

11:19 岐阜県可児市の中心部を南から北へ縦断し、加茂郡川辺町へ到着。

 

山裾に目指す山川橋が見えた。

 

ここは、賤ヶ岳の七本槍の一人、福島正則の祖先の地。豊臣秀吉続き。しかし、出生には諸説ある。

 

山川橋の全景を上空から見てみようと思い、福島館があったと言う米田城跡へ向った。

米田城は、「米田富士」と呼ばれる愛宕山山頂に権現山から福島城を移築した城。

 

1582年(天正10年)の「本能寺の変」後に美濃金山城主・森長可に攻囲され落城。廃城となった。

 

登城口の急な階段を見て間髪入れず断念。脇道を調査したが、山頂には近付かず。

11:33 飛騨川に架かる山川橋へ到着。

 

現在の橋は2代目。1937年(昭和12年)開通。初代が川辺発電所建設により水没するため作られた。

 

全長190m、幅4.5m。ゲルバー式RC橋であり、現存するRCラーメン構造の橋としては最も大型。

 

歴史的土木建造物として、「土木学会選奨土木遺産」および「ぎふ歴史的土木構造物」に指定されている。

上流に1923年(大正12年)開通の初代の主塔が残る。木製の吊り橋だった。

 

ゲルバー橋は、側径間から片持ち径間を張り出し、それにより吊径間を支持している構造。

 

RCラーメン構造は、鉄筋コンクリートの鉄筋を溶接などで一体化させて建物を支える構造形式。

幅員が狭さや老朽化から、1983年(昭和58年)、上流1.4kmの場所に新山川橋が架けられた。

1km下流には川辺ダムがある。

 

ダムの手前には、ダム湖を利用した岐阜県川辺漕艇場がある。

通行の主流は新橋に移っているが、地元民の往来は多い。しかも、何故かグリーンベルトの上を行く。

 

右岸に「土木学会選奨土木遺産」の認定プレートがある。

 

初代の橋が完成した時に建てられた記念碑も残る。

 

さあ、肉を食いに行こう!

12:10 中華園に到着。

 

数ある候補の中から今年のいい肉に選んだものは、肉ダンゴ定食950円。

 

期待通り、外はカッチリ、中はフワフワ!南瓜中心に野菜もたっぷり。味も良かった。

 

大切りキャベツがサクサクと歯応えの良い、餡たっぷりの餃子も美味かった。やっぱり中華園は素晴らしい!

13:10 犬山橋を渡り、寂光院が間近に迫った。

 

木曽川に観光船。久々に見た。

 

船から楽しむ紅葉も良さげに見えるが、寒いのでは?

紅葉真っ盛り!

 

寂光院の門前ルートは通行止め。

 

思ったほどの混雑は無く、穴場かも。

 

2025.12.6(土) 秀吉から信長へ

今シーズン一番の冷え込み。しかし、タイムリミットの10時を睨み早々と出発。

目的地は、稲沢市の長光寺。以前勤めていた職場の目と鼻の先。しかし、知らなかった。

9:03 興化山 長光寺へ到着。

 

応保元年(1161年)、病に臥せった平頼盛が路傍のお地蔵様の霊験により全快したという逸話から始まる。

 

延元3年(1338年)、足利尊氏が法相宗寺院として再興。江戸時代に臨済宗へ転じた。

 

本尊は、重要文化財の「延命地蔵大菩薩」。

美濃路に面し、楼門前には「左京都、右ぎふ」の碑が建つ。

三間一戸の楼門は、天明8年(1788年)建立。

 

唐様様式を主体とした、屋根、入母屋造り本瓦葺形式。

 

虹梁、蟇股、持送りなどの彫刻が見事な出来映え。

 

特に上層の組物部分の鼻は、匠の技。

アクリル板で守られる。

地蔵堂。室町時代に建立。平頼盛に由来。

 

通称「六角堂」。織田信長が大変気に入っていたと伝わる。

 

清州に鷹狩りに来ると六角堂まで赴き、寝転んで昼寝をしたり、お堂から見える景色を眺めていたそうだ。

 

お寺のお奨め 「ぜひ同じように寝転んで、信長が見た同じ景色を楽しんで」とのこと。

地蔵堂には、「汗かき地蔵」と呼ばれる重要文化財の「鉄造地蔵菩薩立像」が納めれている。

 

この地蔵は、世の中に悪いことが起こる前になると全身に汗をふきだし、人々に知らせるとの言い伝えがある。

 

境内には、織田信長が清洲城や岐阜城まで取り寄せ愛飲したと伝わる臥松水と言う井戸もある。

9:35 中華そば「しばや」へ到着。余裕で間に合った。それにしても、看板がデカイ!

 

店に入ると、アジア系の兄ちゃんが出迎えてくれた。その後、同民族のお姉ちゃんも厨房に現れた。

 

どうやら、お隣りと掛け持ちのようだ。

 

ラーメン好きが集まっているかと思いきや、先客はたった一人。少々不安。

オーダーは当然朝ラーメン。一種類かと思ったら、醤油・塩・味噌・煮干しとバリエーション豊富で思案。

 

タブレットで煮干しの麺大盛りをチョイス。無料で卵と食べ放題のご飯が付いて700円は驚き。

 

スープは美味しかった。ツルツルの細麺はもう少し硬いのが良かった。ご飯は今一つだが、卵かけなのでOK

 

ボリュームは、勿論満点。朝昼兼用で丁度良い。近所にあったら通い詰めそう。

 

2025.12.19(金) 信長続きで今川領と織田領の境界へ

往時の面影が残る今川領と織田領境界の存在を発見。

 

なんと、10年前、たった400m東側を通勤していた。今川領と織田領を毎日行き来していたのか。

 

その場所、名古屋市南区へ向った。

11:25 笠寺西門交差点を右折し、旧東海道を北上。

 

「是より北よびつき」の道標が建つ。

 

が、往時の面影は見当たらない。

11:29 富部神社へ到着。名古屋市内の神社建築で唯一の国の重要文化財。

 

今川義元の娘婿戸部新左衛門政直の居城、戸部城に、慶長8年(1603年)、津島神社から勧請。

 

慶長11年(1606年)、徳川家康の四男、清洲城主・松平忠吉が病気平癒の祈願をした所、日ならずして快復。

 

その恩頼奉謝のしるしとして、本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が寄進された。

本殿は、桃山建築の姿を残す。現在は修復工事中。

 

江戸時代は、尾張藩の黒印地として毎年百石が寄進され、藩主が営繕を行った。

 

 

素晴らしい所だが、真の目的地はここではない。そこへ繋がっているものだと思ったのだが、予想が外れた。

旧東海道へ戻り、清水稲荷殿へ到着。曹洞宗・稲荷山長楽寺の鎮守社。

 

弘仁12年(821年)、弘法大師・空海が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建。

 

真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置した。

 

永正5年(1508年)に今川氏が諸堂を再建。この頃に曹洞宗の寺となり、明谷禅師が寺号を長楽寺と改めた。

松平忠吉お手植えの松。デカイ!本当の話なら、樹齢400年超え!

 

松の奥に地蔵が並ぶ。夜は中々近寄り難そう。

 

長楽寺は動物霊園として有名。盲導犬サーブもここに眠っている。

清水稲荷殿と長楽寺の間に旧今川領・旧織田領境界が見えた。

戸部城の空堀?が境界だった。

 

戸部城は今川領の西端、織田領最前線の城。弘治2(1557)、織田信長は城主・戸部政直殺害を策略。

政直の筆跡を真似て今川を離れる内容の手紙を書かせ、義元を釣った。

義元はこれを信じ、政直を駿府へ呼び寄せることとしたが、途中の三河吉田で殺害。

 

何とも切ない。

谷底にトンネル。防空壕か?

この辺り一帯は呼続公園の東端。公園エリアの外は、谷は埋められ住宅が建ち並ぶ平地。

 

ほんの僅かだが、ここには往時を偲ぶ姿が残っている。

11:55 銭屋へ到着。1年振り。メニューが短冊から刷り物に変わり、概ね100upしていた。

 

オーダーは、トンテキ定食600円+ごはん大盛100円。upしてもこの値段、相変わらずコスパ最高!

 

美味かった〜!肉は分厚く柔らかい。そしてタレの味が抜群。

 

是非また行こう。そして、いつか「うな丼 倍盛り」1,400円を食べてみよう!



 

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